東金とうがね)” の例文
東金とうがね監視隊本部報告。両翼を大破せる敵重爆一機、只今、九十九里海岸片貝かたがひ町の海上に不時着。直ちに、その乗組員四名を捕虜とす。
浜龍は東金とうがねの姉娘の養女で、東京の蠣殻町かきがらちょう育ちだったが、ちょっと下脹しもぶくれの瓜実顔うりざねがおで、上脊うわぜいもあり、きっそりした好い芸者だった。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
いずれ、やくざに相違ないと知って、出来合ってしまったところが、これが賭博ばくちうちと思っていたのに、東金とうがね無宿の長二郎という名代の泥棒——
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
東金とうがねの富人河野克堂、字子貞の家に滞留して清明せいめいの節をもここに過したが、夏の初には家に還っていて、星巌と共に不忍池の分香亭に詩筵しえんを催した。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
中に水に臨んだ一小廬しょうろ湖月亭こげつていという。求むる人には席を貸すのだ。三人は東金とうがねより買い来たれる菓子果物くだものなど取り広げて湖面をながめつつ裏なく語らうのである。
春の潮 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
花車重吉が上総の東金とうがねの角力に往ったということを聞きましたから、すぐ其所そここうというので旅立の支度を致し、永く羽生村の名主を致して居りましたから金は随分ござります
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
「モスリンの社長さんのような人になって下さい。然うすれば東金とうがねを見返せます」
村一番早慶戦 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
なおそれよりも前に、上総の東金とうがね附近の村では、これも二三日してから山の中のすすきくさむらの中に、しゃがんでいたのをさがしだしたが、それから久しい間、がらのような少年であったという。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
東金とうがねの茂右衛門どのといふうたは春の朧のものなりけらし
夢殿 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
見られ下谷山崎町家持いへもち五兵衞召仕ひ久兵衞其方生國は何國いづくにて年はなん歳なるやまた何頃いつごろより五兵衞方へ奉公ずみ致したるや有體に申立よと云はるゝに久兵衞私し生國は上總國かづさのくに東金とうがねにて五ヶ年以前より五兵衞方へ奉公ずみ致しをりとしは當年四十二歳に相成候と申しければ越前守殿て又其方如何成いかなる所存にて五兵衞の悴を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
別の声 東金とうがね防空監視隊本部報告……午後八時五十二分、鳴浜なるはま東方三千、重爆三機、高度二千五百、九十九里海岸に沿ひ南進…………。
一たび幕府の倉吏となったが、天保の初梁川星巌やながわせいがんが詩社を開くに及びこれに参し、職を辞して後放蕩ほうとうのため家産を失い、上総かずさ東金とうがねの漁村に隠棲いんせいした。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
香取かとり鹿島かしまめぐり佐原より舟行して銚子ちょうしいたり、九十九里浜を過ぎて東金とうがねに往き門人遠山雲如をその村居に訪うた。雲如は江戸の人、詩酒風流のために家産を失い東金に隠棲している奇人である。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)