かんが)” の例文
くだんの『風俗通』に出た諸説をかんがえると、どうも最初十二月の臘の祭りの節、鶏を殺して門戸に懸けたのが後に元日の式となった事
七十一座の神々にまいらする相嘗祭への弊物に、種目数量の若干の異同があったことは、何かそれぞれの理由が有ったはずだが、それをかんがえてみる力は今の私にはない。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
然かも欧陽公必ず誤まらざらん、まさに更にひろく旧制をかんがふべき也。(老学庵筆記、巻七)
土地の人に聞きただして見ても、大小烏帽子の名は知っているが、今ではそれがどの山であるかを指点することを得ない有様である。むなくこれを記文にかんがえて朝日岳を大烏帽子岳と断定したのである。
利根川水源地の山々 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
餘姚よえうも亦博愛をあらためて公愛と爲せり。あはかんがふ可し。
ネンゴネでチテエと名づくるなどかんがえ合すと、本邦のトトは雄鶏の雌を呼ぶ声に由ったものらしい、魚をトトというは異源らしい。
かんがえると最初猩々と呼んだは手長猿の一種にほかならじ、後世赤毛織りが外国より入って何で染めたか分らず、猩々の血てふ謬説びゅうせつ行われ
熊楠つつしんでかんがうるに、古エジプト人は日神ウンを兎頭人身とす、これ太陽あしたに天に昇るを兎の蹶起けっきするに比したんじゃ(バッジ『埃及諸神譜ゼ・ブック・オブ・ゼ・エジプシアンス』巻一)
『食鑑』とアストレイを合せかんがうるに、その時渡ったはドー(今絶ゆ)の変種、グランツ・ゼブラという種と見える。
この譚に対して欧人間にも非難少なからず、われわれ日本人からかんがえても如何な儀も多いが、かかる事はむやみに自我に執して他を排すべきにあらず。
かくかんがえるとどうも馬琴の説が当り居るようだ。すなわち斉の宣王が堂上に坐すと牛をいて過ぐる者あり。
ヒンズー教にカリ女神を女性力すなわち破壊力の表識としこの力常に眠れど瞬間だも激すればたちまち劇しく起きて万物をやぶりおわるとするを会わせかんがうべしと。
支那でも『抱朴子』に、分形すればすなわち自らその身三魂七はくなるを見る。『酉陽雑俎ゆうようざっそ』に人身三万六千神その処に随ってこれに居るなどあるをかんがえ合すべし。
これらを合せかんがうるに、わが邦のミヅチ(水の主)は、最初水辺の蛇能く人に化けるもので、支那の蛟同様人馬を殺害し、婦女を魅し婬する力あったが、後世一身に両役かなわず
想うに一九いっくなどの小説にしばしば繰り返された一話はこの仏語より来たんでないか、いわく猫をって名をつけんと苦心し猫は猫だから猫とづく、さてかんがうると猫より強いから虎
唐人敦賀へ来る途上、この島に寄って食物をもうけ、あわびなど取る由を委細に載せ居る、これを以てかんがえると秀郷が蜈蚣を射て竜を助けた話も、話中の蜈蚣の眼が火のごとく光ったというも
ただ怪しんで跡より跡より出で来て殺された例も多く読んだからかんがうると、いかなる心理作用よりかは知らぬが、同類殺さるを知りながら、その死処に近づくたちの動物が少なからぬようで
既に先年合祀ごうしを強行して、いわゆる基本財産の多寡を標準とし、賄贈わいぞう請託を魂胆こんたんとし、邦家発達の次第をかんがうるに大必要なる古社を滅却し、一夜造りの淫祠を昇格し、その余弊今に除かれず
昨今すらこの通り、いわんや上世飼養の法も知らず、何たる要用もなく、殊には斎忌タブーの制煩多で、種々の動植を嫌う風盛んだった時に、牛馬のない地方が、わが邦に少なくなかったとかんがえる。
これらはちょっと聞くと嘘ばかりのようだが予年久しく経験するところに故ロメーンス氏の説などをかんがえ合わすと猫やふくろうは獲物を人に見せて誇る性がある、お手の物たる鼠ばかりでなく猫は蝙蝠こうもり
かんがうるとよほど得脱した方と察したてまつる。