“恰(ちやう)” の例文
「いや、確かに拝見しましたが、あれを叩くのは何だか気が咎(とが)めましてね、恰(ちやう)どお寺にでも詣(まゐ)つたやうな変な音がするもんですから。」
押拭(おしぬぐ)ひ成程お身の云ふ通り早く兩親に別(わか)れ師匠樣(ししやうさま)の養育(やういく)にて人と成(なれ)ば不仕合の樣なれ共併しさう達者(たつしや)で成長せしは何よりの仕合なり譯(わけ)と云(いへ)ば此婆が娘の産(うみ)し御子樣當年まで御存命(ごぞんめい)ならば恰(ちやう)どお身と同じ齡(とし)にて寶永三戌年(いぬとし)然(しか)も三月十五日子の刻の御出生なりしと語(かた)り又も泪(なみだ)に暮る體(てい)は合點(がてん)のゆかぬ惇言(くりこと)と思へば扨は
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
で、画かき達は曼舟氏を置いてきぼりにしてぐんぐん奥へ入つて往つた。恰(ちやう)ど文展でいつも曼舟氏に置いてきぼりを喰(く)はされたやうに。
「恰(ちやう)どこゝのやうな処でね。」と未来の大統領は吐き出すやうに言つた。「法律家はみんな火の周囲(まはり)に立たせられて居ましたよ。」
それは自分の生れた年から数へて、恰(ちやう)ど七つ目に当つた干支(えと)を絵にかいて、いつも壁に懸けて置く時は、立身出世疑ひないといふ事だ。
すると恰(ちやう)どそこへ通りかかつたのが池上市長で、太い牛のやうな首をそつちへ捻ぢ向けたと思ふと、一寸立ちとまつて訊いた。
大森氏はためつすがめつ髑髏(しやれかうべ)を見てゐた。恰(ちやう)ど梅雨(つゆ)時分の事で、髑髏(しやれかうべ)からは官吏や会社の重役の古手(ふるて)から出るやうな黴臭(かびくさ)い香気(にほひ)がぷんとした。
恰(ちやう)ど春さきの、梅もちらほら咲きかけようといふ頃で、内田氏は自分の学生を十幾人か引連れて、笠置(かさぎ)辺の史蹟の踏査に出かけた途中であつた。
召集されて戦線に立つた画家連は、恰(ちやう)ど舞台の背景画家がするやうに、敵の目を晦(くら)ますために、戦場に色々な背景を拵へ上げることを考へついた。
恰(ちやう)ど耶蘇の死骸が墓のなかで紛失(ふんじつ)したやうなもので、不思議は四福音書にあるやうに、職人の掌面にもあるものなのだ。
それは恰(ちやう)ど結婚後十三年目に当つてゐたが、その後間もなく男の児を生んで、今では立派な子持になつてゐる。
暫くすると、忠成はひよつくり其処(そこ)へ顔を出した。恰(ちやう)ど時分時(じぶんどき)なので黙つてそこにあつた弁当箱を取り上げた。
「京都の靴屋でも立派に手入れは出来ますよ。恰(ちやう)ど学問の仕入が京都大学でも出来るやうなものでさ。」