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恰
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ちやう
ふりがな文庫
“
恰
(
ちやう
)” の例文
「いや、確かに拝見しましたが、あれを叩くのは何だか気が
咎
(
とが
)
めましてね、
恰
(
ちやう
)
どお寺にでも
詣
(
まゐ
)
つたやうな変な音がするもんですから。」
茶話:03 大正六(一九一七)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
押拭
(
おしぬぐ
)
ひ成程お身の云ふ通り早く兩親に
別
(
わか
)
れ
師匠樣
(
ししやうさま
)
の
養育
(
やういく
)
にて人と
成
(
なれ
)
ば不仕合の樣なれ共併しさう
達者
(
たつしや
)
で成長せしは何よりの仕合なり
譯
(
わけ
)
と
云
(
いへ
)
ば此婆が娘の
産
(
うみ
)
し御子樣當年まで
御存命
(
ごぞんめい
)
ならば
恰
(
ちやう
)
どお身と同じ
齡
(
とし
)
にて寶永三
戌年
(
いぬとし
)
然
(
しか
)
も三月十五日子の刻の御出生なりしと
語
(
かた
)
り又も
泪
(
なみだ
)
に暮る
體
(
てい
)
は
合點
(
がてん
)
のゆかぬ
惇言
(
くりこと
)
と思へば扨は
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
で、画かき達は曼舟氏を置いてきぼりにしてぐんぐん奥へ入つて往つた。
恰
(
ちやう
)
ど文展でいつも曼舟氏に置いてきぼりを
喰
(
く
)
はされたやうに。
茶話:05 大正八(一九一九)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
「
恰
(
ちやう
)
どこゝのやうな処でね。」と未来の大統領は吐き出すやうに言つた。「法律家はみんな火の
周囲
(
まはり
)
に立たせられて居ましたよ。」
茶話:03 大正六(一九一七)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
それは自分の生れた年から数へて、
恰
(
ちやう
)
ど七つ目に当つた
干支
(
えと
)
を絵にかいて、いつも壁に懸けて置く時は、立身出世疑ひないといふ事だ。
茶話:03 大正六(一九一七)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
▼ もっと見る
すると
恰
(
ちやう
)
どそこへ通りかかつたのが池上市長で、太い牛のやうな首をそつちへ捻ぢ向けたと思ふと、一寸立ちとまつて訊いた。
茶話:05 大正八(一九一九)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
大森氏はためつすがめつ
髑髏
(
しやれかうべ
)
を見てゐた。
恰
(
ちやう
)
ど
梅雨
(
つゆ
)
時分の事で、
髑髏
(
しやれかうべ
)
からは官吏や会社の重役の
古手
(
ふるて
)
から出るやうな
黴臭
(
かびくさ
)
い
香気
(
にほひ
)
がぷんとした。
茶話:02 大正五(一九一六)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
恰
(
ちやう
)
ど春さきの、梅もちらほら咲きかけようといふ頃で、内田氏は自分の学生を十幾人か引連れて、
笠置
(
かさぎ
)
辺の史蹟の踏査に出かけた途中であつた。
茶話:05 大正八(一九一九)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
召集されて戦線に立つた画家連は、
恰
(
ちやう
)
ど舞台の背景画家がするやうに、敵の目を
晦
(
くら
)
ますために、戦場に色々な背景を拵へ上げることを考へついた。
茶話:04 大正七(一九一八)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
恰
(
ちやう
)
ど耶蘇の死骸が墓のなかで
紛失
(
ふんじつ
)
したやうなもので、不思議は四福音書にあるやうに、職人の掌面にもあるものなのだ。
茶話:02 大正五(一九一六)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
それは
恰
(
ちやう
)
ど結婚後十三年目に当つてゐたが、その後間もなく男の児を生んで、今では立派な子持になつてゐる。
茶話:02 大正五(一九一六)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
暫くすると、忠成はひよつくり
其処
(
そこ
)
へ顔を出した。
恰
(
ちやう
)
ど
時分時
(
じぶんどき
)
なので黙つてそこにあつた弁当箱を取り上げた。
茶話:04 大正七(一九一八)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
「京都の靴屋でも立派に手入れは出来ますよ。
恰
(
ちやう
)
ど学問の仕入が京都大学でも出来るやうなものでさ。」
茶話:04 大正七(一九一八)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
恰
漢検準1級
部首:⼼
9画
“恰”を含む語句
恰好
恰度
不恰好
背恰好
年恰好
恰当
脊恰好
恰幅
無恰好
相恰
四十恰好
格恰
恰形
恰腹
形恰
無格恰
悧恰
恰顔斎
脊丈恰好
身丈恰好
...