市日いちび)” の例文
北京の魅力は市日いちびにも現れて、一定の日ににぎやかな市が立ちますが、なかで有名な竜福寺の市の如きは、雑器の大展観たる趣きを呈します。
北支の民芸(放送講演) (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
毎月一と五の日はA町の市日いちびで、近郷から種々の産物を売りに来たり買ひに来たりするので非常に賑かである。
厄年 (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
信州南安曇あずみでは新田しんでんの市、北安曇では千国ちくにの市などに、暮の市日いちびに限って山姥が買物に出るという話があった。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
父よりいずれ御礼の文奉り度存居ぞんじおり候えども今日は町の市日いちびにて手引き難く、乍失礼しつれいながら私より宜敷よろしく御礼申上候
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
で、私はそれを買いに市日いちびごとに市場に遣わされた。
あのにぎやかな土沢の冬の市日いちびです
『春と修羅』 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
売る店も残り、また盛な市日いちびさえ立ちます。大体からいうと信仰的な土俗品は、年と共に衰える傾きがありますが、致し方もないことであります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
麦稈帽むぎわらばうをかぶつた単衣ひとへの古びた羽織を着たかれの姿は、午後の日の暑く照る田圃道たんぼみちを静かに動いて行つた。町は市日いちびで、近在から出た百姓がぞろ/\と通つた。
ある僧の奇蹟 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
山男・山姥が町の市日いちびに、買物に出るという話が方々にありました。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
さて、この村からすじ浄法寺じょうほうじへとぬける街道がある。今でもそうだが、多くの者がわんだとか片口かたくちだとか木皿だとかをになって市日いちびへと出かけてゆく。
陸中雑記 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
収穫とりいれがすむと、町も村もなんとなくにぎやかに豊かになった。料理屋に三味線の音が夜更けまで聞こえ、市日いちびには呉服屋唐物屋の店に赤い蹴出けだしの娘をつれた百姓なども見えた。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
今も田舎の市日いちびに逢えば、蓑売が何枚かの品をならべてひさぐのを見かけることがある。昔は需要が多かったからこのために市日が立ってさかんであったようである。
蓑のこと (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
高崎近くの豊岡とよおか張子はりこ達磨だるまで有名で、今も盛なものであります。すべて木型を用いて作ります。日を定めて市日いちびが立ちますが、農家や町家まちやなどでは年々あがなうことを忘れません。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
幾つかの奥地をそでに有つ町や村は、品物が集り、また散る場所である。特に市日いちびでも設ける所があれば、なお都合がいい。それらの場所では、その地方でなければないものを数々売る。
地方の民芸 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
しかしその日は谷城の市日いちびである。心がせかれるので窯場での買物は次の日に譲り、急いで山を降りた。谷城は小さい町であった。此処の市はこの旅でめぐり会えた最初のものであった。
全羅紀行 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
まじり気のない日本の生活の勢いが、幾分でもこういう市日いちびあじわわれます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)