寵臣ちょうしん)” の例文
つつんでいた才気は徐々じょじょ鋭鋒えいほうをあらわし、その多芸な技能は、やがて王大将のおそばには、なくてならない寵臣ちょうしんの一名となっていた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は前将軍の死後五月を経ざるに、その寵臣ちょうしん林肥後守、水野美濃守、美濃部筑前守、中野碩翁せきおう等を宮廷より一掃し去れり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
こういう場合に咎められるのは、お側去らずの寵臣ちょうしんであった。で、三弥と紋右衛門、憎しみのマトにされてしまった。
任侠二刀流 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
おまえがもしおれの帷幄いあくにいれば、おれにもっとも近しい者として、おれの寵臣ちょうしんとして、家中の怨嗟えんさはおまえに集まるだろう、——おれはそうしたくなかった
桑の木物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
ダビデ王の寵臣ちょうしんでソロモン王の時に祭司長に任ぜられたサドクの系統を引いた祭司の家柄を中心とした一派で、エルサレムの神殿礼拝をつかさどり、それに寄生して利をあげていた。
もし北条と武田とが氏元に合力することがあったならば、駿河一国を取り返すのはなんでもない。その場合には、氏元の寵臣ちょうしんを助けた自分の位置はすこぶる有利になるだろうと考えた。
三浦右衛門の最後 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
天帝の愛子あいし、運命の寵臣ちょうしん、人のうちの人、男のなかの男と世の人の尊重の的、健羨けんせんの府となる昔所謂いわゆるお役人様、今の所謂官員さま、後の世になれば社会の公僕とか何とか名告なのるべき方々も出た。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
フランスのシャール七世、或時殺人罪を犯した一寵臣ちょうしんの死刑を特赦しようとして、掌璽大臣モールヴィーエー(Morvilliers)を召して、その勅赦状に王璽をきんせしめようとした。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
右側は寵臣ちょうしん柳沢美濃守を筆頭の閣老諸公。
元帝の外戚がいせきにあたる者で、許章きょしょうという寵臣ちょうしんがあった。これが国法の外の振舞いをしてしかたがない。諸葛豊は、その不法行為をにらんで
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その朱舜水と肩を並べ、左手にいるのが水戸光圀みつくに、右手にいるのが光圀の寵臣ちょうしん朝日奈小弥太あさひなこやたという若い武士。ほかに二人が前駆けのていで、松明を捧げて歩いて行く。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
寵臣ちょうしんであるのにいつもへりくだって人のうしろに立つようにしていたかれ、目だちはしないが誠実な奉公ぶりにゆるみのなかったかれ、そういうこしかたの源七郎を思うと
青竹 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
一は田沼濁政の後を承け、天下の民みな一新の政を望むの時に際し、他は文恭公太平の余沢に沈酔したるに際す。一は天下の衆望によりてぬきんでられ、他は寵臣ちょうしん夤縁いんえんによりてすすむ。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
それに、光秀の才識は、事ごとにみとめられて、いまや彼は、信長の寵臣ちょうしんのひとりだった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
爾来じらい兵庫累進し、おそば去らずの寵臣ちょうしんとはなったが、昔のことは忘れない。正雪を先生と呼んでいた。しかし今夜は正式でなくとも、大納言の使者である。で、厳然と威儀を正し
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
おそば去らずの寵臣ちょうしんで、火術にかけては扶桑ふそう第一、丸目一貫目の筒をかかえ、品川の海、五町の沖合い、廃船を轟然ごうぜんと打ち沈めたという。人品骨柄も打ちのぼり、年齢四十一歳である。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
宗家ではあり、高時の寵臣ちょうしん道誉の言だ。ずいぶん腹ぐろい腹を見せられた心地ではあったものの、宗家の彼にそむいたら一ぺんに身の破滅は知れていた。さらには、このけわしい風雲の暗黒下である。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
庄八郎この時十九歳、晴信よりは三つ上であって、お側去らずの寵臣ちょうしんであった。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「あ。この者が、曹操の寵臣ちょうしん夏侯恩かこうおんであったか」——と。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
寵臣ちょうしん
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)