太棹ふとざお)” の例文
お君、お前はよっぽど流しに縁があるんだ。新内と縁が切れたら今度は太棹ふとざおときたぜ。しかし心配するな。そのうちせんの師匠に泣きを
あぢさゐ (新字新仮名) / 永井荷風(著)
と、彼女は木戸口を這入はいりながら、そこまでびんびんと響いて来る時代おくれな太棹ふとざおの余韻に反抗するような気持で云った。
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「へ? なるほど。ここで会うたが七年目、覚悟はよいか、でんでんでん——こりゃあ太棹ふとざおで、へへへへへ。」
煩悩秘文書 (新字新仮名) / 林不忘(著)
すると、太棹ふとざおの張代えを持って来て見せていた、箱屋とも、男衆とも、三味線屋ともつかない唐桟仕立とうざんじたての、声のしゃがれた五十あまりの男がその相手になって
一世お鯉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
文楽ぶんらく義太夫ぎだゆうを聞きながら気のついたことは、あの太夫の声の音色が義太夫の太棹ふとざおの三味線の音色とぴったり適合していることである、ピアノ伴奏では困るのである。
雑記帳より(Ⅰ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
この人は太棹ふとざおは女としてはかなりのてだれであったそうだが、私が物心がついた頃には、もう耄碌もうろくしていてみんなからあなどられていた。私が十のときに寄る年波で亡くなった。
桜林 (新字新仮名) / 小山清(著)
太棹ふとざおは、やっぱりこのくらい離れて聞いた方がいいな、ことに、なまじいな太夫が入らないのがいい、三味線だけがいい——と、多少の好感を持つことができたのは幸いです。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
手慣れの三味しゃみにひと語りかたっているところをでも不意にうしろから襲われたらしく、二三春はばちもろともに太棹ふとざおをしっかりとかかえたまま、前のめりにのめっているのでした。
右門捕物帖:23 幽霊水 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
遠いから何をうたって、何を弾いているか無論わからない。そこに何だかおもむきがある。音色ねいろの落ちついているところから察すると、上方かみがた検校けんぎょうさんの地唄じうたにでも聴かれそうな太棹ふとざおかとも思う。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
太棹ふとざおも、見台も自分用のを持っていた。
光り合ういのち (新字新仮名) / 倉田百三(著)
女の音〆ねじめには似も寄らぬ正しき太棹ふとざおの響折々漏れ聞ゆるにぞ談話は江戸俗曲の事また先頃先生のさる書肆しょしより翻刻を依頼せられしといふ『糸竹初心鈔しちくしょしんしょう』がことより
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
あわれこの人男子と生れて太棹ふとざおを弾きたらんには天晴あっぱれの名人たらんものをとたんじたという団平の意太棹は三絃芸術の極致にしてしかも男子にあらざればついに奥義おうぎ
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「珍しいなア、太棹ふとざおをやっている」
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
あでやかな姿に似合わぬ太棹ふとざおの師匠のような皺嗄しわがれた声、———その声は紛れもない、私が二三年前に上海シャンハイへ旅行する航海の途中、ふとした事から汽船の中で暫く関係を結んで居たT女であった。
秘密 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)