埴生はにゅう)” の例文
「何者でもねえ、この斑鳩嶽に、その人ありと知られた雨龍の一族、洞門の権右衛門だ。よくも最前は埴生はにゅうの里で一門の者を手にかけたな」
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とにかく、地借ちがりやからだし、妻なしが、友だち附合の義理もあり、かたがた、埴生はにゅうの小屋の貧旦那ひんだんなが、今の若さに気が違ったのじゃあるまいか。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
茱萸ぐみばやしに、今井四郎兼平のひきいる六千余騎は、わしを渡って日宮ひのみや林に陣を構え、大将義仲は、一万余騎を引き連れ、埴生はにゅうに陣を敷いた。
越後えちごの或る篤農家は彼を案内して、いわゆる埴生はにゅうの小屋の奥に、金色の阿弥陀様あみださまの光美しく立つ光景を見せ、また百年勤続の小作人の表彰せられた話などをしてきかせた。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
一体何者だろう? 俺のように年寄としとった母親があろうもしれぬが、さぞ夕暮ごとにいぶせき埴生はにゅう小舎こやの戸口にたたずみ、はるかの空をながめては、命の綱の掙人かせぎにんは戻らぬか、いとし我子の姿は見えぬかと
何故というのに、その頃の寄宿舎の中では、僕と埴生はにゅう庄之助という生徒とが一番年が若かった。埴生は江戸の目医者の子である。色が白い。目がぱっちりしていて、唇は朱を点じたようである。
ヰタ・セクスアリス (新字新仮名) / 森鴎外(著)
池は小さくて、武蔵野の埴生はにゅうの小屋が今あらば、そのにわたずみばかりだけれども、深翠ふかみどり萌黄もえぎかさねた、水の古さに藻が暗く、取廻わした石垣も、草は枯れつつこけなめらか
南地心中 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
荒土で塗りたたいた埴生はにゅうの小屋みたいな穴口が幾つもあった。上は夜空へ高い櫓組やぐらぐみとなっている。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
越中西礪波にしとなみ埴生はにゅう村大字埴生字長に矢立山という地がある。これも加賀との境らしい。『こし下草したくさ』によれば越中より倶利迦羅くりから道へ出づる間道なり、一に矢立越という。名義不詳。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
一方義仲は、埴生はにゅうに陣をとり、あたりを眺めていると、赤い鳥居が目に入った。
処へ、横雲のただよさまで、一叢ひとむらの森の、低く目前めさきあらわれたのは、三四軒の埴生はにゅうの小屋で。
星女郎 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
旅の空埴生はにゅうの小屋のいぶせさに
埴生はにゅうの小屋などひっくるめた置物同然に媼をたたみ込んで置くのらしい。
二世の契 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)