印袢纏しるしばんてん)” の例文
その席亭の主人あるじというのは、町内の鳶頭とびがしらで、時々目暗縞めくらじまの腹掛に赤いすじの入った印袢纏しるしばんてんを着て、突っかけ草履ぞうりか何かでよく表を歩いていた。
硝子戸の中 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
死人の顔から、防毒マスクを奪いとろうとした浅間しい行為を恥じるものの如く、印袢纏しるしばんてん氏は、マスクの中で、幾度も、幾度も、苦吟くぎんを繰返した。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
多くは雨が降ろうが日が照ろうがブラブラ遊んでいて、いよいよ切迫せっぱつまって初めて不精不精に印袢纏しるしばんてんをひっかけたり破ればかましわをのしたりして出かけた。
洗いざらしの印袢纏しるしばんてんに縄の帯。豆絞りの向う鉢巻のうしろ姿は打って付けの生粋いなせ哥兄あにいに見えるが、こっちを向くと間伸まのびな馬面うまづらが真黒に日に焼けた、見るからの好人物。
芝居狂冒険 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
女で印袢纏しるしばんてんに三尺帯を締めて、股引ももひき穿かずにいるものもある。口々に口説くどきというものを歌って、「えとさっさ」とはやす。いとさのなまりであろう。石田は暫く見ていて帰った。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
其処には古い印袢纏しるしばんてんに、季節外れの麦藁帽むぎわらぼうをかぶつた、背の高い土工が佇んでゐる。——さう云ふ姿が目にはひつた時、良平は年下の二人と一しよに、もう五六間逃げ出してゐた。
トロツコ (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
と、印袢纏しるしばんてんに、向鉢巻むこうはちまきをした留吉は、松の枝へ、一鋏ひとはさみパチリと入れながら云った。
甲州鎮撫隊 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そして何かから遁れるように両手で人波を掻きわけ掻きわけ、急いで行く後姿——どの売子もする通りに、社の名が染め抜きになっている印袢纏しるしばんてんを着て、籠を斜にかけた後姿——を眺めた。
日は輝けり (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
いつか印袢纏しるしばんてんの兄いが、シルクハットの紳士が、甘酸っぱい体臭を持った、肉襦袢の女たちが、思い思いに捻子ねじをまかれた泥人形のように、がらっとした小屋一杯、猥褻な悲鳴をあげながら
夢鬼 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
そのうちの一人は印袢纏しるしばんてんを着てゐた。房一の見たこともない連中だつた。
医師高間房一氏 (新字旧仮名) / 田畑修一郎(著)
奇妙な風体ふうていをして——例えば洋服の上に羽織を引掛けて肩から瓢箪ひょうたんげるというような変梃へんてこ扮装なりをして田舎いなか達磨茶屋だるまぢゃやを遊び廻ったり、印袢纏しるしばんてん弥蔵やぞうをきめ込んで職人の仲間へ入って見たり
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
髯は無言で、場所を出てゆこうとしたが、生憎あいにく、又ピカリと窓硝子が光ったので、印袢纏しるしばんてんに発見されてしまった。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
しかし若い時分に相当の苦労をしたらしく、石油会社の印袢纏しるしばんてん股引ももひきに包まれた骨格はまだガッシリとしていて、全体に筋肉質ではあるが、栄養も普通人より良好らしく見えた。
S岬西洋婦人絞殺事件 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
それに続いて、髯男が、やっと気がついたらしい印袢纏しるしばんてんの男を、引立てながら、これも逃げだしたのだった。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)