)” の例文
旧字:
執権どのは、常日頃、そうした事のみが、およろこびのお方なのだ。なべて眼に見えぬことは、いもない。せっかく道誉という法名を
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
而して一先ひとまず村へ帰って人々の助けを借りて、再び池の中を捜索したけれど、その苦心のいもなく、とうとう死骸を見付ることが出来なかった。
稚子ヶ淵 (新字新仮名) / 小川未明(著)
これ以上、若殿の気随気ままに唯々いいとして引かれたのでは、何の守役もりやくたるいがあろう。右馬介は一命をかけても引き止めたい。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかしそのいはあって、武蔵は見つかったのであるから、後は、加勢の者の力よりは、お通の一心の如何によるほかはない。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自分のうえに、その五百余の生命がいまこそ託されて行くのだと思うとき——強右衛門は生けるいを改めて身に覚えた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だから歴代「——いやしくも天皇の位についたからは、さらに院政をる上皇とまでならねば、天子となったいもない」
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けれど、じつは折角なそのいもなかった。なぜならば、石秀はまもなく、高い城壁下じょうへきかのどんづまりに追いつめられて逮捕されてしまったからだ。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「お見捨ては残念です。ただの雑兵ではなし、どこへでも落ちて生きよと仰っしゃられても、いなく生きられる者ではない。どこまでもお連れください」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たとえ、一代二代で出来ないまでも、そういう希望をもっての苦労なら、生きてのいもあろうというもの。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「くすりとは、それのことだ。わしは負けたくない。こんな世に負けたくない。一日でも愉しまなくて何の生きてきたいがあろうや。生きぬいてみせる!」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(武蔵様が死を決しておいでになるなら、わたしもやまいを養って、こうして生き長らえるいもない)
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
藩主が、粗服を着たり朝夕の食膳の菜を減らしたりして範を示してみせる事も、何のいもない。
(新字新仮名) / 吉川英治(著)
「——なぜこの刀は、研げないのでござろうか。研いでもいのない鈍刀なまくらというわけであろうか」
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今となって、おことの肉体をくくってにえとなそうとも、わしが足蹴にかけて叱ろうと、それが叡山へ対してなんのいがあろう、吉水の上人に向ってなんのおわびとなろう。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おかげさまで、てまえもすっかりいい顔になり、お大尽だいじんもまた、えらいおよろこびでしてね、へえ、都一の李師々大夫りししたゆうにも会えて東京とうけいへ来たいもあったと、たいそうなご満足。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なるべく足も大股に努めてみたが、男もそれにつれて大股になるので何のいもない。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
故郷の人々からもいわれた通り、ここに遊学したいを見せて、都の文化にまなび、よい人物になって、ひとかどの男振りを、いつの日かには、故郷下総の豊田郷にかざって帰りたい。——
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
矢文やぶみをつかわして、会談を求め、彼の手引に依って、密かに、後藤とも面会いたし、そのいがあって、昨夜深更、ことし八歳になる我が子を郎党に負わせて訪ねて来たものでござります
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この義明は、累代るいだい源氏の御家人と生れ、八十余歳まで生きのびたいあって、今、佐殿の旗挙げを見たうれしさ。……これで死んでもいい。落城の火の粉は、孫や子たちの出世の種蒔たねまきじゃ。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、みずから不満をかこっていた。そして、その欲望を飽満させなければ、生きたいもないとすら考え出した。かれの胸中いつか包蔵された陰謀の設計は、そうして次第に大胆になって来た。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
思ってもいない事と知りながら胸が傷む。
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
労苦を共にしたいあって
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)