兼好けんこう)” の例文
頓阿とんあ浄弁じょうべん慶運けいうん兼好けんこうなど四天王などいわれたような門弟もあって、数で行けばやはり歌界の大勢を動かすのは二条流であった。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
そもそも兼好けんこうほどの剛の者がついておりながら、高武蔵守師直こうのむさしのかみもろなお塩谷えんやの妻でしくじったのも、短気から——すべて色事には短気がいちばんの損気。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
平家物語の治承・寿永の世には、西行法師という風外の歌法師がいたが、太平記の大乱時代にも“徒然草つれづれぐさ”の著者で知られているすね法師の兼好けんこうがいた。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼が双ヶ岡の法師と世に謳わるる吉田兼好けんこうと知った時に、女も少し意外に感じたらしかったが、そんな色目も見せないで、かれは先ずうやうやしく会釈えしゃくした。
小坂部姫 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
鎌倉のむかし北条時頼ときよりが、夜半に僧兼好けんこうのところへ迎えをやり、二人で語り明かそうというので酒の支度をし、肴がなにもないために、味噌をめ舐め飲んだという。
滝口 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
吉田兼好けんこうを色法師と謂うのは冤罪えんざいだそうなが、とにかく平生へいぜいの練習があればこそ代作も頼まれるので、現に同じ時代の頓阿とんあの集などを見ると、逢恋別恋の題詠が幾らでもある。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
彼らは『徒然草つれづれぐさ』の兼好けんこう法師に説かれないでも、僕位の年齢に達するまでには、出家悟道の大事を知って修業し、いつのまにか悟りをひらいて、あきらめの好い人間に変ってしまう。
老年と人生 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
直ぐ向うのならびが岡の兼好けんこうが書いた遊びずきの法師達が、ちごを連れて落葉にうずめて置いた弁当を探して居やしないか、と見廻みまわしたが、人の影はなくて、唯小鳥のさえずる声ばかりした。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
「あねごも今年ははたちの筈だ。いろをこしらえていい頃だ。兼好けんこうさんがいってまさあ。色を好まねえ阿魔っ子は、底のねえひしゃくに似ているってね。どうもあねごはがさつでいけねえ」
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
兼好けんこうはこの書の中で色々の場所で心の自由を説いている。
徒然草の鑑賞 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
花の幕兼好けんこうのぞく女あり
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
京の吉田山には、命松丸ひとりを留守において、兼好けんこうが、伊賀を歩いていたのは四月半ば頃で、その間に彼は
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『なんの、先方でも、そういう考えでいるらしい。恋は色に出ぬ程のよさと兼好けんこう法師か誰かも云うてある』
濞かみ浪人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「わしか。……わしは近年、洛中では吉田の神護院に宿借やどかりいたしておるので、吉田のすね法師だの、吉田の兼好けんこうなどとよばれておるが、それでは、思い出されもなされまい」
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
卯木と元成は、いちど木賃宿きちんへもどった。——そしてひでりの夏の一日も、ようやく冷ややかに暮れ沈んできた頃、また出直して、昼のえんじゅの木の下で、約束の兼好けんこうが来るのを待っていた。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この兼好けんこうも、近ごろは人に、卜部兼好かと、昔名むかしなを問われたことなど、とんとない。……したが、お夫婦ふたりの姿をここに見、そぞろ後宇多の法皇きみが世におわせし頃もなつかしゅう思わるる。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おかしげな法師とは、吉田兼好けんこうのことであった。当年六十八であったという。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「双ヶ岡の法師の許へ帰っていったか。さすればその兼好けんこうも、あとからやって来るかもしれんな。いやあの気まぐれだ、見えぬかもしれん。政治向きにはいっこうつんぼをよそおうている曲法師くせほうしよ」
兼好けんこうさん、兼好さん」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
兼好けんこう。ありがとう」
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)