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倶利伽羅
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くりから
ふりがな文庫
“
倶利伽羅
(
くりから
)” の例文
「
山姥
(
やまうば
)
の子のように、てまえは、
倶利伽羅
(
くりから
)
のつづら折で生れましたので、幼い頃から、里を知らずに育ちましてござりまする」
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
……それよりして、
倶利伽羅
(
くりから
)
に
掛
(
かゝ
)
る、
新道
(
しんだう
)
天田越
(
あまたごえ
)
の
峠
(
たうげ
)
で、
力餅
(
ちからもち
)
を……
食
(
た
)
べたかつたが
澁茶
(
しぶちや
)
ばかり。
麻を刈る
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
町家の一部や、加茂神社などへ放火して、成政は、ついにここへかからずに、また北転して、津幡と
倶利伽羅
(
くりから
)
との中間——
鳥越城
(
とりごえじょう
)
へ進路をとった。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
鰐
(
わに
)
の口の
安宅
(
あたか
)
をのがれ、
倶利伽羅
(
くりから
)
の竜の背を越えて、四十八瀬に日を数えつつ、直江の津のぬしなき舟、朝の嵐に
漾
(
ただよ
)
って、佐渡の島にも
留
(
とど
)
まらず、白山の
嶽
(
たけ
)
の風の激しさに
河伯令嬢
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
木曾と平家との北陸戦は、有名な“
倶利伽羅
(
くりから
)
の合戦”を境として急角度に革命の達成を告げ、平家都落ちの悲劇を、平家の地上に現出して来る。昔も今も、無常迅速の感は深い。
随筆 新平家
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
倶利伽羅
(
くりから
)
峠には、新道と故道とある。いわゆる一騎落から
礪波山
(
となみやま
)
へ続く古戦場は、その故道で。これは大分以前から特別
好物
(
ものずき
)
な旅客か、山伏、行者の
類
(
たぐい
)
のほか、余り通らなかった。
星女郎
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
倶利伽羅
(
くりから
)
の
嶮
(
けん
)
を中心とする山また山は、
加能越
(
かのうえつ
)
三ヵ国の境をなす北陸の
脊梁
(
せきりょう
)
である。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
倶利伽羅
(
くりから
)
を汽車で通った時、峠の駅の屋根に、車のとどろくにも驚かず、雀の日光に浴しつつ、屋根を自在に、
樋
(
とい
)
の宿に
出入
(
ではい
)
りするのを見て、谷に
咲
(
さき
)
残
(
のこ
)
った
撫子
(
なでしこ
)
にも、
火牛
(
かぎゅう
)
の
修羅
(
しゅら
)
の
巷
(
ちまた
)
を忘れた。
二、三羽――十二、三羽
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
上京
(
じやうきやう
)
するのに、もう
一
(
ひと
)
つの
方法
(
しかた
)
は、
金澤
(
かなざは
)
から
十三里
(
じふさんり
)
、
越中
(
ゑつちう
)
伏木港
(
ふしきかう
)
まで
陸路
(
りくろ
)
、
但
(
たゞ
)
し
倶利伽羅
(
くりから
)
の
嶮
(
けん
)
を
越
(
こ
)
す——
其
(
そ
)
の
伏木港
(
ふしきかう
)
から
直江津
(
なほえつ
)
まで
汽船
(
きせん
)
があつて、すぐに
鐵道
(
てつだう
)
へ
續
(
つゞ
)
いたが、
申
(
まを
)
すまでもない、
親不知
(
おやしらず
)
麻を刈る
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
倶
漢検準1級
部首:⼈
10画
利
常用漢字
小4
部首:⼑
7画
伽
漢検準1級
部首:⼈
7画
羅
常用漢字
中学
部首:⽹
19画
“倶利伽羅”で始まる語句
倶利伽羅坂
倶利伽羅谷
倶利伽羅紋々
倶利伽羅峠
倶利伽羅下
倶利伽羅辺
倶利伽羅山焼残寺