佐久さく)” の例文
柏木界隈かいわいの女は佐久さくの岡の上に生活くらしてて、荒い陽気を相手にするのですから、どうでも男を助けて一生はげしい労働はたらきなければなりません。
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
けれど、ゆうべ碓氷権現うすいごんげんの境内に、その将門、将頼、将文などの手勢が、宿営したという噂は、途々、何度も耳にした事だし、また佐久さく御牧みまきでも今
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
甲州佐久さく神社の七釜ななかま御手洗みたらしという清水なども、人がその傍を通ると水がたちまち湧きあがり、細かな砂が浮き乱れて、珍しい見物であるという話であります。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
遠くの八ヶ岳の裾までひろがつてゐる佐久さくたひらを見下ろしながら中山道となつて低くなつてゆく。
ふるさとびと (旧字旧仮名) / 堀辰雄(著)
信州佐久さくの方へ出るところに、まだこのほかに一筋の路がございますよ。相州口にも、まだちょっとした間道ぬけみちがございますがな、それは処の案内者でないとわかりませんでございますよ。
大菩薩峠:08 白根山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
ラヂオよく聞こえ北佐久さく秋の晴
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
佐久さくたひらかたほとり
孔雀船 (旧字旧仮名) / 伊良子清白(著)
大砲、玉箱から、御紋付きの長持、駕籠かごまでそのけわしい峠を引き上げて、やがて一同佐久さくの高原地に出た。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
東京の近くでは信州佐久さく川上かわかみ地方から、諏訪すわ伊那いなにかけて南信一円、甲州のほぼ全部、駿河するがの富士川以東と伊豆いずの片端に、ヰロリとヒジロという語が今も行われている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
上田の城下へ入る前に、追分おいわけの辻から佐久さく街道へ折れて、青々とした麦畑や、はなに染め分けられた耕地や森や、千曲ちくま清冽せいれつなどを見渡しながら、フイに、お十夜がこう言いだした。
鳴門秘帖:03 木曾の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
佐久さくあたりでは、ほかの地方ともちがって、夕方のあいさつに「こんばんは」とは言いません。「おつかれ」と言います。日暮れがたの道で行き会う人ごとに聞くものはそのあいさつです。
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
佐久さく安養寺あんようじという寺の庭にあって、始めて鎌倉から持って来た時には、ほんの一握りの小石であったものが、だんだん成長して四尺ばかりにもなったので、庭の古井戸の蓋にして置きますと
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「何しろ、碓氷越えは物騒です。佐久さくあたりまで、お連れください」
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
蓼科たでしなの山つづきから遠い南佐久さくの奥の高原地がそこから望まれた。近くには士族地の一部の草屋根が見え、ところどころに柳の梢の薄く青みがかったのもある。遅い春がようやく山の上へ近づいて来た。
岩石の間 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
チンチ 信州佐久さく諏訪すわ
その浪士らが信州にはいったと聞き、佐久さくへ来たと聞くようになると、急を知らせる使いの者がしきりに飛んで来る。にわかに城内では評定ひょうじょうがあった。あるものはまず甲州口をふさぐがいいと言った。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)