亀井かめい)” の例文
筑前ちくぜん亀井かめい先生なども朱子学を取らずに経義けいぎに一説を立てたと云うから、そのりゅうを汲む人々は何だか山陽流を面白く思わぬのでしょう。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
白砂青松はくしゃせいしょうの東海道の空にかかったとき、竹童がふと見おろすと、たしかに徳川勢とくがわぜい亀井かめい内藤ないとう高力こうりきなんどの武者らしい軍兵ぐんぴょう三千あまり、旗幟堂々きしどうどう
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
F君の言う所はすこぶる尋常に異なるものであった。君は私とは同じ石見人いわみじんであるが、私は津和野つわのに生れたから亀井かめい家領内の人、君は所謂いわゆる天領の人である。
二人の友 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
亀井かめい片岡かたおか鷲尾わしのお、四天王の松は、畑中はたなかあぜ四処よところに、雲をよろい、繇糸ゆるぎいとの風を浴びつつ、あるものは粛々しゅくしゅくとして衣河ころもがわに枝をそびやかし、あるものは恋々れんれんとして、高館たかだちこずえを伏せたのが
七宝の柱 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
騒然そうぜんたる中学校の教室の音響——「やい亀井かめい」「なんだ松岡」「随分ずいぶん黒いぞ」「黒くておかしいかい。やい白ん坊」「なんだ黒ん坊」などの早い会話のやりとりを遠く聞かせる。
新学期行進曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
五智光院ごちこういんを建立、亀井かめいの水を五瓶ごびょう智水ちすいとして伝法灌頂でんぽうかんじょうをお遂げになったのである。
頼朝よりとも公と不和になられた義経よしつね公が、弁慶べんけい亀井かめい伊勢いせ駿河するが常陸坊ひたちぼうの四天王を引きつれて陸奥みちのくへ下向される。一同は山伏に姿をやつしている。が、こうしたことは鎌倉に聞えている。
れでト通り漢学者の前座ぐらいになって居たが、一体の学流は亀井かめいふうで、私の先生は亀井が大信心だいしんじんで、余り詩を作ることなどは教えずにむしろ冷笑して居た。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
天子てんしたけのふもとから、南すそのへかけて、まんまんと陣取ったるが本陣と思われまする。オオ、しかも、その旗印はたじるしは、徳川方とくがわがた譜代ふだい天野あまの内藤ないとう加賀爪かがづめ亀井かめい高力こうりきなどの面々
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ただ今、亀井かめい殿が鹿野城しかのじょうから馳せつけられました」
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)