三河武士みかわぶし)” の例文
取ってかえしに、奥からでてきたのは、菊池家きくちけの家来とみえて、いかさまがんじょうな三河武士みかわぶし横柄おうへいに頭の上から見くだして
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひと三河武士みかわぶしの末流として徳川累世るいせい恩義おんぎに対し相済あいすまざるのみならず、いやしくも一個の士人たる徳義とくぎ操行そうこうにおいて天下後世に申訳もうしわけあるべからず。
三の強藩に敵するの勇気なく、勝敗をもこころみずして降参こうさんしたるものなれば、三河武士みかわぶしの精神にそむくのみならず、我日本国民に固有こゆうする瘠我慢やせがまんの大主義をやぶ
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
すなわちその思想しそうは純然たる古流こりゅうにして、三河武士みかわぶし一片の精神せいしん、ただ徳川累世るいせい恩義おんぎむくゆるの外他志たしあることなし。
菊池半助きくちはんすけの書面が、家康いえやす本城ほんじょう浜松へつくと同じ日にいくさになれた三河武士みかわぶしの用意もはやく、旗指物はたさしものをおしならべて、東海道を北へさして出陣した三千の軍兵ぐんぴょう
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たまたもって一旧臣のめに富貴を得せしむるの方便ほうべんとなりたる姿すがたにては、たといその富貴ふうきみずから求めずして天外よりさずけられたるにもせよ、三河武士みかわぶしの末流たる徳川一類の身として考うれば
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
「そうか、いくら伊那丸でも、三千からの三河武士みかわぶしにとりかこまれては、一たまりもあるまい」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すなわち明治政府において外国のかねを借り、またその人をやとうて鉄道海軍の事を計画けいかくしたるとごうことなるところなし。小栗は幕末に生れたりといえども、その精神せいしん気魄きはく純然たる当年の三河武士みかわぶしなり。
すなわち我輩わがはい所望しょもうなれども、今そのしからずしてあたかも国家の功臣をもっ傲然ごうぜんみずからるがごとき、必ずしも窮屈きゅうくつなる三河武士みかわぶしの筆法を以て弾劾だんがいするをたず、世界立国りっこく常情じょうじょううったえてはずるなきを得ず。
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)