“あしな”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
足萎26.7%
足馴13.3%
13.3%
芦名6.7%
葦名6.7%
蘆名6.7%
蘆品6.7%
足痿6.7%
足跛6.7%
6.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
跛者ちんばの主人の顏と、それをたすける美しいお歌の顏を見ると、三輪の萬七の子分達も、手の下しやうはありません。足萎あしなえと十八娘では、凡そ鼬小僧には縁がありません。
それにひきかえて燕作えんさくのほうを見ると、さすがはこいつ足馴あしなれたもので、少しもあせるようすがなく、まるで平地をあゆむように、スラスラと十二、三ちょうのぼりをみすすんでゆく。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
同寮の僧にも、このちごをばあしなへたる丐兒かたゐにわたされずとのたまふを聞きつ。
「それは、ありさうなことだが、お糸さんの許婚いひなづけと言つて居る、浪人者の芦名あしな光司が、このお屋敷に忍び込んで、奧方を手に掛けようとは思へない」
追ひ廻した、やくざの貧乏富は人手にかゝつて死んでしまひ、今では浪人の芦名あしな光司が、肴町の津志田家の廻りをウロウロしてをりますが、あの男も氣が變になつて居るから、油斷は出來ませんね
『新編会津風土記』によれば、若松城より三十町ほど西に鍛冶かじ屋敷という地がある。葦名あしな氏の時鎌倉より鍛冶を伴ない来たって住せしむと言う。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
越後えちごへ行っては上杉家へ仕え、会津あいづへ行っては蘆名あしな家へ仕え、奥州おうしゅうへ行っては伊達だて家へ仕え、盛岡へ行っては南部家へ仕え、常陸ひたちへ行っては佐竹家へ仕え、結城ゆうきへ行っては結城家へ仕え
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
備後絣びんごがすり」も「伊予絣いよがすり」や「久留米絣くるめがすり」などと共に、名を高めた産物であります。蘆品あしな新市しんいち町には今も多少は手機てばたの音が響きます。しかし今までのような勢いはなくなりました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
すゝきは今もえてゐる。探せば木瓜ぼけの花もあらう。我は足痿あしなへて二十二年、夢でなくては堤に遊ぶおもひ出も見ぬ。
筑波ねのほとり (旧字旧仮名) / 横瀬夜雨(著)
「三名の病人と、足跛あしなえ、片目の者など不具者十一、二名がおりまする」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
めしいた者は見ることが出来、あしなえた者は歩くことが出来、癩病やめる者は潔まることが出来、いた者は聞くことが出来、死んだ者は復活よみがえることが出来、貧者は福音を聞かされる。
銀三十枚 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)