鯖江さばえ)” の例文
唯今ただいま鯖江さばえ鯖波さばなみ今庄いまじょうの駅が、例の音に聞えた、中の河内、木の芽峠、湯の尾峠を、前後左右に、高く深く貫くのでありまして、汽車は雲の上をはしります。
雪霊記事 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
まことはここから近い鯖江さばえの町に、私の儒学の恩師牛石ぎゅうせき先生がおいでになる。もう滅多にお目にかかれぬ間がらゆえ、十年ぶりでお顔を拝して参ろうと思うのじゃ。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
当時の越前には福井の松平、鯖江さばえ間部まなべ、勝山に小笠原、敦賀つるがに酒井、大野に土井の五藩があった。
ひとごろし (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
多くは白と黒との細かい縞もので、他では余り見かけません。調子のよい布であります。主に鯖江さばえ附近の田舎で作られますが、郷土の品として誰に誇ってもよい布であります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
その足で鯖江さばえから敦賀つるが——江州へ出て京都へ上るという段取りに心をきめました。
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
また陸奥国むつのくに八戸はちのへの城主南部なんぶ遠江守とうとうみのかみ信順のぶゆきと越前国鯖江さばえの城主間部まなべ下総守詮勝あきかつとから五人扶持ずつの俸を受けていた。しかし躋寿館においても、家塾においても、大抵養子竹逕ちくけいが代講をしていたのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
信斎は佐藤一斎の先輩で、鯖江さばえ侯のお抱へ儒者であつた。
十六七ねんぎました。——唯今たゞいま鯖江さばえ鯖波さばなみ今庄いましやうえきが、れいおときこえた、なか河内かはち芽峠めたうげ尾峠をたうげを、前後左右ぜんごさいうに、たかふかつらぬくのでありまして、汽車きしやくもうへはしります。
雪霊記事 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
鯖江さばえの旧師を訪ねて、その駕が再び福井を指して戻って来たのは、ちょうどとッぷり日が暮れた頃だったが、四里とはない道のりなので、駕屋はただ一息の足どりで、闇街道ひた走りに飛んでくる。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鯖江 鯖江さばえノ太郎。
夜叉ヶ池 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)