“遠江守”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
とおとうみのかみ62.5%
たふみのかみ12.5%
とうとうみのかみ12.5%
とほたふみのかみ12.5%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
ここには、さきに宮中御産祈祷の件で、その真相調べのため、鎌倉から派遣されていた武者所の雑賀さいか隼人、長井遠江守とおとうみのかみ
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それでは申上げます、が、御存じの通り小堀家は御先祖遠江守たふみのかみ政一樣以來茶道の御家柄で、東照公樣御封の遠州流奧傳の秘書と、江州小室一萬二千石永代安堵えいだいあんどの御墨附を
また陸奥国むつのくに八戸はちのへの城主南部なんぶ遠江守とうとうみのかみ信順のぶゆきと越前国鯖江さばえの城主間部まなべ下総守詮勝あきかつとから五人扶持ずつの俸を受けていた。しかし躋寿館においても、家塾においても、大抵養子竹逕ちくけいが代講をしていたのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
万記録よろづきろくの内容は、松平遠江守とほたふみのかみの家来稲垣左近右衛門さこんゑもんと云ふ者が、見聞した事を数度に主家へ注進した文書である。松平遠江守とは摂津せつつ尼崎の城主松平忠栄ただながの事であらう。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)