ずい)” の例文
しんずい王莾おうもうや、晋宋しんそう斉梁せいりょうや、則天そくてん符堅ふけんや、これ皆これをして天下を有せしむる数百年にゆといえども、正統とすからずとす。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
武帝はけっして庸王ようおうではなかったが、同じく庸王ではなかったずい煬帝ようだい始皇帝しこうていなどと共通した長所と短所とをっていた。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
那覇を開いたのは久米島くめじまの方を通ってくる北の航路が開始されてからであるが、それはずい時代の事とされている。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ずい煬帝ようだいの臣下に麻叔謀ましゅくぼうというものがあって、これが小児の肉を好んで、ひそかに民間の小児をさらい、その肉を蒸して食ったということはありますが
道はなかなかきのうのようにははかどらない。途中で午飯ひるめしを食って、日が西に傾きかかったころ、国清寺の三門に着いた。智者大師の滅後に、ずい煬帝ようだいが立てたという寺である。
寒山拾得 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
日本につぽんかはらはちょうど支那しなずいといふ時代じだいに、朝鮮ちようせんから輸入ゆにゆうせられたものでありまして、圓瓦まるがわらはしには蓮華れんげ模樣もようかざりにつけてあり、唐草瓦からくさがはらにも蔓草つるくさ模樣もようなどがつけてあります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
推古朝すいこちょうの時代、小野妹子おののいもこずいの国から持ってきたと申す説、また、仁明帝にんみょうていの御世に遣唐使藤原貞敏ふじわらのさだとしが学んで帰朝したのが始まりであると申す説と、いろいろにいわれておりまするが
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しからばすなわち万一の変あるも控制こうせいやすしと、帝けいこたえたまわく、燕王は骨肉至親なり、何ぞこれに及ぶことあらんやと。敬曰く、ずい文揚広ぶんようこうは父子にあらずやと。敬の言実に然り。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
八省はっしょうなどの建物とその地域は、華美壮麗なこと、ずいとうの絵画にでも見るようであったが、そこを中心とする碁盤目の道すじをすこし離れると、もう泥濘ぬかるみは、言語に絶し、乾けば、牛のふんが、ほこりだち
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
此の断岸絶壁のような智識に、清浅の流れ静かにして水は玉の如き寂心が魔訶止観まかしかんを学びけようとしたのであった。止観はずいの天台智者大師の所説にして門人灌頂かんじょうの記したものである。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)