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隋
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ずい
ふりがな文庫
“
隋
(
ずい
)” の例文
秦
(
しん
)
や
隋
(
ずい
)
や
王莾
(
おうもう
)
や、
晋宋
(
しんそう
)
・
斉梁
(
せいりょう
)
や、
則天
(
そくてん
)
や
符堅
(
ふけん
)
や、
此
(
これ
)
皆これをして天下を有せしむる数百年に
踰
(
こ
)
ゆと
雖
(
いえど
)
も、正統とす
可
(
べ
)
からずと
為
(
な
)
す。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
武帝はけっして
庸王
(
ようおう
)
ではなかったが、同じく庸王ではなかった
隋
(
ずい
)
の
煬帝
(
ようだい
)
や
始皇帝
(
しこうてい
)
などと共通した長所と短所とを
有
(
も
)
っていた。
李陵
(新字新仮名)
/
中島敦
(著)
那覇を開いたのは
久米島
(
くめじま
)
の方を通ってくる北の航路が開始されてからであるが、それは
隋
(
ずい
)
時代の事とされている。
海上の道
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
隋
(
ずい
)
の
煬帝
(
ようだい
)
の臣下に
麻叔謀
(
ましゅくぼう
)
というものがあって、これが小児の肉を好んで、ひそかに民間の小児をさらい、その肉を蒸して食ったということはありますが
雨月物語:02 現代語訳 雨月物語
(新字新仮名)
/
上田秋成
(著)
道はなかなかきのうのようには
捗
(
はかど
)
らない。途中で
午飯
(
ひるめし
)
を食って、日が西に傾きかかったころ、国清寺の三門に着いた。智者大師の滅後に、
隋
(
ずい
)
の
煬帝
(
ようだい
)
が立てたという寺である。
寒山拾得
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
▼ もっと見る
日本
(
につぽん
)
の
瓦
(
かはら
)
はちょうど
支那
(
しな
)
の
隋
(
ずい
)
といふ
時代
(
じだい
)
に、
朝鮮
(
ちようせん
)
から
輸入
(
ゆにゆう
)
せられたものでありまして、
圓瓦
(
まるがわら
)
の
端
(
はし
)
には
蓮華
(
れんげ
)
の
模樣
(
もよう
)
を
飾
(
かざ
)
りにつけてあり、
唐草瓦
(
からくさがはら
)
にも
蔓草
(
つるくさ
)
の
模樣
(
もよう
)
などがつけてあります。
博物館
(旧字旧仮名)
/
浜田青陵
(著)
推古朝
(
すいこちょう
)
の時代、
小野妹子
(
おののいもこ
)
が
隋
(
ずい
)
の国から持ってきたと申す説、また、
仁明帝
(
にんみょうてい
)
の御世に遣唐使
藤原貞敏
(
ふじわらのさだとし
)
が学んで帰朝したのが始まりであると申す説と、いろいろにいわれておりまするが
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
然
(
しか
)
らば
則
(
すなわ
)
ち万一の変あるも
控制
(
こうせい
)
し
易
(
やす
)
しと、帝
敬
(
けい
)
に
対
(
こた
)
えたまわく、燕王は骨肉至親なり、何ぞ
此
(
これ
)
に及ぶことあらんやと。敬曰く、
隋
(
ずい
)
文揚広
(
ぶんようこう
)
は父子にあらずやと。敬の言実に然り。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
八省
(
はっしょう
)
などの建物とその地域は、華美壮麗なこと、
隋
(
ずい
)
唐
(
とう
)
の絵画にでも見るようであったが、そこを中心とする碁盤目の道すじをすこし離れると、もう
泥濘
(
ぬかるみ
)
は、言語に絶し、乾けば、牛の
糞
(
ふん
)
が、
埃
(
ほこり
)
だち
平の将門
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
此の断岸絶壁のような智識に、清浅の流れ静かにして水は玉の如き寂心が
魔訶止観
(
まかしかん
)
を学び
承
(
う
)
けようとしたのであった。止観は
隋
(
ずい
)
の天台智者大師の所説にして門人
灌頂
(
かんじょう
)
の記したものである。
連環記
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
隋
漢検1級
部首:⾩
12画
“隋”を含む語句
隋円形
隋唐
隋県
隋眠