蘚苔こけ)” の例文
彼女の眼は蘚苔こけの付いた石燈籠も、境の土塀どべいも見ず、まっすぐにその樅ノ木を見た。九年まえに見たときと、さして違ったようには思えなかった。
サルオガセがぶら下ったり、山葡萄やまぶどうからんだり、それ自身じしん針葉樹林の小模型しょうもけいとも見らるゝ、りょくかつおう、さま/″\の蘚苔こけをふわりとまとうて居るのもある。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
撒きました。蘚苔こけも生き生きとして緑色に輝いています。地面にはもうちり一つも、木の葉一枚もありません
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
「僕らは、あの危険な開口をのぼり、大烈風をやぶった。それだけでも、前人未達の大覇業だいはぎょうということができる。帰ろう。今夜は蘚苔こけのなかへ寝て、明日は戻ろう」
人外魔境:03 天母峰 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
いや、時には、もつともつと身体を汚してみないかと、ひそかに自分にけしかけて、じつと蘚苔こけのやうなものが、皮膚に厚くたまるのを楽しんでゐるかに見えたりする。
大凶の籤 (新字旧仮名) / 武田麟太郎(著)
そうして、彼らの傷口からほとばしる血潮は、石垣の隙間を漏れる泉のように滾々こんこんとして流れ始めると、二人の体を染めながら、窪地の底の蘚苔こけの中まで滲み込んでいった。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
これという実も花も持たぬままに、うるおいを求めて地を這いまわる蘚苔こけのようなもの、又は風に任する浮草式生活の気楽さに囚われている者に到っては殊に夥しいのであります。
鼻の表現 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
よれよれの着物の襟を胸まではだけているので、蘚苔こけのようにべったりと溜った垢がまる見えである。不精者らしいことは、その大きく突き出た顎のじじむさいひげが物語っている。
四月馬鹿 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
「おとうさん、もう何もすることはありません。庭石は三度洗い石燈籠いしどうろうや庭木にはよく水をまき蘚苔こけは生き生きした緑色に輝いています。地面には小枝一本も木の葉一枚もありません。」
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
視神経をチクリとさせる、木の根には蘚苔こけが青々として、水がジクジクと土に沁みこみ、山葵がにょっきり生えている、嘉門次はこの山葵を採りに入って、登り路を発見したのであると言っている
谷より峰へ峰より谷へ (新字新仮名) / 小島烏水(著)
あまつ日は松の木原きはらのひまもりてつひにさびしき蘚苔こけを照せり
つゆじも (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
太陽の蘚苔こけあり、青海の鼻涕はなあり。
怪鳥の去った後に、銭蘚苔ぜにごけの細片が落ちていました。僕はそれを中心に捜査を進めたのです。そしてあの岬の松林の中に、同じ蘚苔こけと、人の足跡をみつけました。
廃灯台の怪鳥 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そこは先刻は岩陰でみえなかったが、まるで色砂をいたような美しい蘚苔こけが咲いている。ところが、前方をながめれば、これはどうしたことか、そこは、流れをなす堆石の川だ。
人外魔境:03 天母峰 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
甲斐は断崖の途中で立停り、その古い樫や、がけりついている蘚苔こけや、歯朶しだなどを眺めやった。
そこは、のこぎりの葉のような、鋭い青葉で覆われていたが、いきなりそこ一帯が、ざわざわ波立ってきたかと思うと、それまで白い蘚苔こけの花か、鹿の斑点のように見えていたものが、すうっと動き出した。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
「向うに木が一本あるだろう、あの蘚苔こけの付いた石の右がわのところに」