藩士はんし)” の例文
又高田の藩士はんし材用にて樵夫きこりをしたがへ、黒姫くろひめ山に入り小屋を作りて山に日をうつせし時、猿にて猿にもあらざる物、夜中小屋に入りて焼火たきびにあたれり。
中津なかつ奥平おくだいら藩士はんしの数、かみ大臣たいしんよりしも帯刀たいとうの者ととなうるものに至るまで、およそ、千五百名。その身分役名を精細にわかてば百余級の多きに至れども、これを大別たいべつして二等に分つべし。
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
見し由にて心にかゝる旨申に付吉凶きつきようとはんと存じ夕七つ時分に宿やどを出しに途中とちうにて先年懇意こんいになりし細川家の藩士はんし井戸ゐと源次郎げんじらうに出會しゆゑ如何なる用向ようむきにて此地へ來られしやととひしに妻を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
拙者は、長州の藩士はんし金子重輔かねこじゅうすけという者。この松代藩で有名な佐久間象山さくまぞうざん先生の名をおしたいして、遙々はるばる、江戸から廻り道して立ち寄ったが、生憎あいにく、象山先生は御不在、むなしく帰って来たところだ
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
又高田の藩士はんし材用にて樵夫きこりをしたがへ、黒姫くろひめ山に入り小屋を作りて山に日をうつせし時、猿にて猿にもあらざる物、夜中小屋に入りて焼火たきびにあたれり。
天のせるわざはひは猶去可し自からせる禍ひはさく可からずとは雖も爰に寶永はうえい七年九月廿一日北の町奉行中山出雲守殿いづものかみどのの掛りにて奸賊かんぞく村井長庵が惡計に陷入おちいり遂にはむじつ横難わうなんに罹り入牢じゆらうし果は牢死らうしに及びぬる彼道十郎はもと吉良家きらけ藩士はんしなる岩瀬舍人いはせとねりとて御近習へ出仕し天晴武文も心懸有し者なりしが不※した事の譯柄わけがらにて今は浪人となり
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)