しょう)” の例文
旧字:
「冗談じゃない。このあたり三百里四方きッての、しょうのおあるじだアね。つまり地頭じとうの大旦那さまだ。よく拝んでおきなせえ」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その上、三人でいた間は、肥前ひぜんくに加瀬かせしょうにある成経のしゅうとから平家の目を忍んでの仕送りで、ほそぼそながら、朝夕ちょうせきの食に事を欠かなかった。
俊寛 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
命をうけた播磨国の住人、福井ふくいしょう下司げし次郎大夫友方、楯を割るとこれに火をつけ松明たいまつとして付近の住家に火を放った。
其の頼み切った家臣の安富元家を此処の南のしょうの奉行にしたが、政元の威権と元家の名誉とを以てしても、何様どうもいざこざが有って治まらなかったのである。
雪たたき (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
そのほか随身などの者は栗栖野くるすのしょうが近いはずだから、そのほうへ皆やって、馬に糧秣まぐさをやったりさせることにして、ここで騒がしく人声などは立てさせぬようにしてくれ。
源氏物語:39 夕霧一 (新字新仮名) / 紫式部(著)
いや、衣食は春秋はるあき二度ずつ、肥前ひぜんの国鹿瀬かせしょうから、少将のもとへ送って来た。鹿瀬の荘は少将のしゅうとたいら教盛のりもりの所領の地じゃ。その上おれは一年ほどたつと、この島の風土にも慣れてしまった。
俊寛 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
読者のうちには多分ご承知の方もあろうが、昔からあの地方、十津川とつかわ、北山、川上のしょうあたりでは、今も土民によって「南朝様」あるいは「自天王様」と呼ばれている南帝の後裔こうえいに関する伝説がある。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
あくる朝、ここを立つさい、彼は篠村八幡宮へ佐伯さえきしょうの一部を寄進して、所願成就しょがんじょうじゅの祈りをこめた。そのとき今川範国のりくに
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
女連れでもあるし、夜になるとめっきり寒いので、泊りを求めたが、狛田こまたの部落を先刻さっきすぎたので富野のしょうまでたどらなければ、家らしいものはない。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)