聖護院しょうごいん)” の例文
聖護院しょうごいんのほうへやって来るかと心待ちにして、毎日、帰るとすぐ宿房の下男に聞いてみるが、手紙も来なければ、使いも見えない。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「実家は京都の聖護院しょうごいん煎餅せんべい屋でな、あととりやけど、今こっちい来て市役所へ勤めておるがな……いい男や。」
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
隣字となりあざの仙左衛門が、根こぎの山豆柿やままめがき一本と自然薯じねんじょを持て来てくれた。一を庭に、一をにわとりさくに植える。今年ことし吾家うち聖護院しょうごいん大根だいこが上出来だ。種をくれと云うから、二本やる。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
洞川どろかわという谷底の村に、今では五鬼何という苗字みょうじの家が五軒あり、いわゆる山上参りの先達職せんだつしょくを世襲し聖護院しょうごいんの法親王御登山の案内役をもって、一代の眉目びもくとしておりました。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
聖護院しょうごいんの森ももう夏らしい若葉の黒い影に掩われていた。ほととぎすでもきそうなという心で、二人は空へ眼をやると、その眉の上に細かい雨のしずくが音もなしに落ちてきた。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
余は聖護院しょうごいんの化物屋敷という仇名あだなのある家に下宿していた。その頃は吉田町にさえ下宿らしい下宿は少なかった。まして学校を少し離れた聖護院には下宿らしいものはほとんどなかった。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
だが、親爺は、聖護院しょうごいん八ツ橋の子供であつた。京都の名物の数あるうちでも、八ツ橋は横綱であらう。聖護院八ツ橋は正真正銘の元祖なのだが、親爺はそこの長男で、然し、妾腹であつた。
古都 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
寝よげに見える東山の、まろらの姿は薄墨うすずみよりも淡く、霞の奥所にまどろんでおれば、知恩院ちおんいん聖護院しょうごいん勧修寺かんじゅじあたりの、寺々の僧侶たちも稚子ちごたちも、安らかにまどろんでいることであろう。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
大峰の者か、聖護院しょうごいん派か、見知らぬ山伏だが、年ごろ四十前後の男で、鉄のような五体は、修験しゅげんぎょうきたえたというよりは、戦場で作ったものである。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
寸志の一包と、吾れながら見事みごとに出来た聖護院しょうごいん大根だいこを三本げて、挨拶に行く。禾場うちばには祝入営の旗が五本も威勢いせいよく立って、広くもあらぬ家には人影ひとかげ人声ひとごえが一ぱいに溢れて居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
もと、その修験者は、京都の聖護院しょうごいん御内みうちにあって、学識も修行も相応にすぐれた先達せんだつのように承っております。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
根来ねごろの誰とか、三井寺のなにがしとか、また聖護院しょうごいんの山伏だの、鎌倉の浪人者だの、名もない市井しせい無頼漢ならずものまでが、きのうも今日もこれまで幾組来たことかわからない。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
僧では、聖護院しょうごいん法印ほういん玄基げんき。ほか数名。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)