発兌はつだ)” の例文
従来、清盛を書いた小説としては、私の寡聞かぶんでは、明治四十三年千代田書房発兌はつだ山田美妙やまだびみょう氏の平清盛があるだけではないかと思う。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
反訳叢書ほんやくそうしょは本月うちに発兌はつだせんといひしを如何にせしやらん、今においてその事なし、この雑誌には余も頼まれて露文を反訳せしにより
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
新聞紙とても、日々発兌はつだはするものの、何にも報道する事が無い。誕生と結婚と死亡との日表の様なもので、それに天気の報道が少しある。
暗黒星 (新字新仮名) / シモン・ニューコム(著)
先づ草稿を校正して版下はんしたに廻はし、桜の版に彫刻することなれば、彼れ是れ手間取り、発兌はつだは翌明治二年正月のことなりき。
蘭学事始再版序 (新字旧仮名) / 福沢諭吉(著)
明治七年(1874)十一月に当時の新川にいかわ県(今の富山県の一部)で発兌はつだになった『茶園栽培問答』と題する書物があって
植物一日一題 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
かくのごときの類、もとより一、二にしてとどまるにあらず。過日発兌はつだの『明教新誌めいきょうしんし』上に、三田某氏の寄せられたる一書あり。その中に曰く
妖怪玄談 (新字新仮名) / 井上円了(著)
そのころ発兌はつだの娯楽雑誌関係者は故石橋思案、森暁紅諸家のごとく、常盤木ときわぎ倶楽部落語研究会の青竹めぐらした柵の中から生れきた通人粋子に非ずして
頃日けいじつたまたま書林の店頭に、数冊のふる雑誌を見る。題して紅潮社こうていしや発兌はつだ紅潮第何号と云ふ。知らずや、漢語に紅潮と云ふは女子の月経にほかならざるを。(四月十六日)
それは「開成学校御構内辻(新次)後藤(謙吉)両氏蔵版遠近新聞第五号、明治二年四月十日発兌はつだ
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
◦実用料理教本 大村忠二郎氏著、東京日本橋区とおり三丁目成美堂せいびどう発兌はつだ、正価五十銭
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
鶴声堂あたりの出版元から発兌はつだの新板小説がようやく流行、洋紙本の荷も重く、同時に草双紙や読み本のお好みも減って、背取りの貸本屋はボツボツ引退、代って居付きの貸本店が殖え
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
で今、にわかに思い出すすべもなく、単にその写真に拠っていうので、多くを述べられないが、もちろんこの一本は、武蔵在世中の発兌はつだとはおもわれない。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
したがって発兌はつだすれば、したがって近浅の書多しとは、人のあまねく知るところなるが、その原因とて他にあらず、学者にして幽窓ゆうそうに沈思するのいとまを得ざるがためなり。
学問の独立 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
初編は紀元二千五百三十四年四月、二編は同年六月発兌はつだと有之候。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
を請うて、わが国初めての、楮銭ちょせん、すなわち紙幣の発兌はつだを断行したのも、いわれないことではなかった。
発兌はつだは翌明治二年正月のことなりき。
蘭学事始再版之序 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
みかど還幸かんこうの日となっても、建武の御新政始めには、御内帑ごないどのくるしさ、ひと方ならず、楮幣ちょへい(紙幣)を発兌はつだして、おしのぎあったほどだが、そのおりもまた道誉は、私財をかたむけて
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)