沙弥しゃみ)” の例文
旧字:沙彌
夕月淡く柳がくれの招き行燈あんどに飛ぶとり落とす三遊亭圓朝が一枚看板、八丁荒しの大御所とて、いずくんぞ沙弥しゃみより長老たり得べけむや。
小説 円朝 (新字新仮名) / 正岡容(著)
「それを、老成の者が、この子、仏者の縁がふかいなど思いすごして、僧院の沙弥しゃみになされたら、成人の後、どう恨めしく思うやも知れぬ」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
沙弥しゃみ文覚敬いて申す。貴賤道俗の助成を蒙って、高雄山の霊地に一院を建立し、現世来世安楽を願わんとする勧進の状。
太上天皇は剃髪ていはつして沙弥しゃみ勝満と名のられ、まつりごとの中枢より離れたわけであるが、藤原氏一族による不如意ふにょいの事もあったように後世史家は語っている。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
自度じど沙弥しゃみの乞食を撃って悪死の報いを得たとか、聖武天皇の御代に長屋王が、賤形の沙弥の頭を打って悪死の報いを得たとか、備中少田郡の白髪部猪麻呂というものが
俗法師考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
淵の魚へ食後の生飯を持って行って投げあたえる役は、沙弥しゃみの昭青年でありました。年は十八。
鯉魚 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
五十歳を越えた内供は、沙弥しゃみの昔から、内道場供奉ないどうじょうぐぶの職にのぼった今日こんにちまで、内心では始終この鼻を苦に病んで来た。勿論もちろん表面では、今でもさほど気にならないような顔をしてすましている。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
蕪村も「ある山寺へ鹿聞きにまかりけるに茶を汲む沙弥しゃみの夜すがらねぶらで有りければ晋子が狂句をおもひ出て」という前書で、「鹿の声小坊主に角なかりけり」という句を作っているから
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
愚僧がまだ沙弥しゃみであったころ、一疋の雌猿を養うていたが、某日あるひ、玄宗皇帝の勅使高力士こうりきしがこの寺へ来て、その猿の敏捷なのを見て、絹を代りに置いて猿を携え往き、それを玄宗に奉ったところが
碧玉の環飾 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
仏の法として比丘の食後今日は飲食美味に飽満たりや否やと問う定めだったので、僧ども帰りて後仏が一子羅喉羅らごらその時沙弥しゃみ(小僧)たりしにかく問うに得た者は足り得ざる者は不足だったと答えた。
沙弥しゃみ律師ころり/\とふすまかな
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
「綽空にはまだ、人の師たる資格ができておりませぬ。また、上人に給仕し奉る一沙弥しゃみの私に、付人などは持たれませぬ」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
沙弥しゃみ律師ころり/\とふすまかな
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
淋しくはないか、と若い妻をいたわり思うのであった。元より沙弥しゃみの妻である。玉日は顔を振って、微笑んだ。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
但馬たじま出石いずし村の生れで十歳で沙弥しゃみになり、十四歳で臨済りんざいの勝福寺に入って、希先きせん和尚に帰戒きかいをさずけられ、山城の大徳寺からきた碩学せきがくについて、京都や奈良に遊び
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「……あわれ、やがて世もしずまらば、仮の姿は捨て、墨染の本身に帰り、まことの一沙弥しゃみになり申さん。——生れし所、生れし世、かくのごとき時なればと、ゆるさせ給え。——阿耨多羅あのくたらみゃく菩提ぼだいの仏たち」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)