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幾度
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いくた
ふりがな文庫
“
幾度
(
いくた
)” の例文
私は彼の右手が高く、ゆるやかな動きをみせて、
恰
(
あた
)
かも舞台の上に立つ名優の所作のごとく、同じ位置を
幾度
(
いくた
)
びとなく旋廻するのを見た。
早稲田大学
(新字新仮名)
/
尾崎士郎
(著)
私はどうかして、教に服するよりも、「教」と「私」とが暖かに滑かに一致して行くようにならぬものかと、
幾度
(
いくた
)
び願い、
悶
(
もだ
)
え、苦しみましたろう。
監獄署の裏
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
幾度
(
いくた
)
びか
顧
(
かへ
)
りみて
思
(
おも
)
へば、さてもはした
無
(
な
)
きことなり、
氏
(
うぢ
)
も
知
(
し
)
らず
素性
(
すじやう
)
も
知
(
し
)
らず、
心情
(
こゝろだて
)
も
何
(
なに
)
も
知
(
し
)
れぬ
人
(
ひと
)
に
戀
(
こ
)
ふとは、
我
(
わ
)
れながら
淺
(
あさ
)
ましきことなり、
定
(
さだめ
)
なき
世
(
よ
)
に
定
(
さだ
)
めなき
人
(
ひと
)
を
頼
(
たの
)
む
たま襻
(旧字旧仮名)
/
樋口一葉
(著)
日曜は
殊
(
こと
)
に掃除日と定めて書生部屋の隅まで一々
検
(
あらた
)
め、大小便所の内まで私が自分で戸を
明
(
あ
)
けて
細
(
こまか
)
に見ると
云
(
い
)
うようにして居たから、一日に
幾度
(
いくた
)
び廊下を
通
(
とおっ
)
て幾人の書生に逢うか知れない。
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
同じようなことが
幾度
(
いくた
)
びもくりかえされる場合にはそういうことができるとも考えられようが、くりかえされることは実は歴史の過程ではない。それは自然界においてのみ見られる現象であろう。
歴史の学に於ける「人」の回復
(新字新仮名)
/
津田左右吉
(著)
▼ もっと見る
幾度
(
いくた
)
びとなく父の姿がわたしの頭の中を走った。靴の先きが長いマントの裾に掩われて、彼の痩せた身体が今にも前によろけそうに見えた。
三等郵便局
(新字新仮名)
/
尾崎士郎
(著)
私はかゝる夜を
幾度
(
いくた
)
び、
恣
(
ほしいまゝ
)
に
彼
(
か
)
の
女
(
をんな
)
と手を取り、重たげに蔽ひ
冠
(
かぶ
)
さる櫻の花の下を歩いたであらう。
歓楽
(旧字旧仮名)
/
永井荷風
、
永井壮吉
(著)
おもちゃ棚の前を私は
幾度
(
いくた
)
びとなく歩きながら到頭非常に精巧につくりあげた軍艦をえらんだ。その軍艦はゼンマイ仕掛になっていて座敷の中を自由に走り廻るのであった。
秋風と母
(新字新仮名)
/
尾崎士郎
(著)
これを
敝履
(
へいり
)
のごとく捨てて顧みないというようなことも
幾度
(
いくた
)
びとなく繰返された。
叛骨・中野正剛:――主観的な覚え書き
(新字新仮名)
/
尾崎士郎
(著)
経営の任にあたるものが小野を中心に
幾度
(
いくた
)
びとなく協議した挙句、一円の月謝を八十銭増額して校費の補給にあてることになったが、この計画の実行がいかに勇断を必要としたかということは
早稲田大学
(新字新仮名)
/
尾崎士郎
(著)
幾
常用漢字
中学
部首:⼳
12画
度
常用漢字
小3
部首:⼴
9画
“幾”で始まる語句
幾
幾何
幾歳
幾日
幾人
幾許
幾年
幾個
幾干
幾分