年歯ねんし)” の例文
旧字:年齒
すこしへだてて、一群の騎馬隊が燦々さんさん手綱たづなくつわをそろえて来るのが見えた。中ほどにある年歯ねんしまだ二十一、二歳の弱冠が元康その人だった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なぜというに、京水の歿年が天保七年だということは、保さんが知っていたが、年歯ねんしに至っては全く所見がなかったからである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
わずか年歯ねんし二十三、四くらいの若さをもって、天才ピアニストとしてその名前は識ると識らざるとを問わず当時の全楽壇賞讃の的となっていたものであった。
逗子物語 (新字新仮名) / 橘外男(著)
今ごろは「キャナール線の量子論的研究」もまとめることができて、年歯ねんしわずか二十八歳の新理学博士になり、新聞や雑誌にまぶしいほどの報道をされたことであろうし、それに引続いて
階段 (新字新仮名) / 海野十三(著)
下りて七合目に至る、霜髪のおきな、剛力の肩をも借らず、杖つきて下山するに追ひつく、郷貫きやうくわんたゞせば関西の人なりといふ、年歯ねんしを問へば、すなはこたへていはく、当年八十四歳になります!
霧の不二、月の不二 (新字旧仮名) / 小島烏水(著)
ハイ——といましむる御者ぎよしやの掛声勇ましく、今しも一りやうの馬車は、揚々として霞門かすみもんより日比谷公園へぞ入りきたる、ドツかとり返へりたる車上の主公は、年歯ねんしくに六十を越えたれども
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
文化十三年より二十七年前は寛政二年にして竹渓の年歯ねんしは二十九歳になる。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
◎政治家とならんか、文学者とならんか、我は文学者をえらばん。政治家の技能はその局に当りその地位を得るに非ざればあらわれず。その局に当りその地位を得るは一半は材能により一半は年歯ねんしによる。
病牀譫語 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
二人ににん年歯ねんしの懸隔は、おおむね迷庵におけると同じく、抽斎はをも少しく学んだから、この人は抽斎の師のうちに列する方が妥当であったかも知れない。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
羨むべき境遇と健康と年歯ねんしである。マックラウド氏のジープを思い出す。どうしているだろう、あのジープの主人公は。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
又其唇を開けり「君等には篠田主筆の心が知れないか、先生が……先生が貧苦を忍び、侮辱を忍び、迫害を忍び、年歯ねんし三十、なほ独身生活をまもつて社会主義を唱導せらるゝ血と涙とが見えないか——」
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
竹田博士は年歯ねんし僅かに四十歳であるのに、不精ぶしょうから来た頤髯を生やしていたが、どういうものかその黒い毛にまじって、丁度頤の先のところに真白なひとつかみの白毛が密生していることで有名だった。
人造人間事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
仲時は、探題としては若すぎるほどな年歯ねんしだが、それでもおおいえない疲労のかげを見せながら、しいて薄く笑った。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
人皆その長門ながとの人なるを知っているが、かつて自ら年歯ねんしを語ったことがないので、その幾歳なるかを知るものがない。打ち見る所は保と同年位であった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
打ち眺めれば、その人、まだ年歯ねんし二十歳がらみの弱冠で、頭は黄巾こうきんで結び、身に青錦せいきんほうを着て、たちまち山を馳けおり、渓河をこえて、関羽の前に迫った。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)