ヤマ)” の例文
大嘗祭り其他の古い祭りに曳かれたヒヲヤマの意義に於て立てられて居たに違ひありませんが、大昔の標の山が、まだ標山シメヤマであつた時代
立派に僧殘と云ふ意味になる、ちやうど、日本語で、ヤマと寺との二語で、山中の寺と云ふ言葉を作つたときは「やまでら」と云ふて、「やまてら」とは云はない
婚姻の媒酌 (旧字旧仮名) / 榊亮三郎(著)
ファルヤマも、百合ユーリ花盛ファナサカリーイ、きすゅるソーデニオのしおらしや……」
骨仏 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
其宰領が、山部宿禰なのでせう。ちようど海人部アマベがあまと言はれるやうに、山部もヤマと言はれてゐます。ヤマアタヘ・山君などいふのが、其です。
翁の発生 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
「ア、アタシ ワルカッタヨー。……ヤ、ヤ、ヤマナンカ、キョウガ、ハ、ハ、ハジメテナンダ……アタシニハ……カミサンモ……コ、コ、小供コドモモアルンダヨー。……ワア! タスケテクレエ……」
第一、海及び海の彼方アナタの国土に対する信仰は、すべて、はる/″\と続く青空、及びその天に接するヤマの嶺にウツして考へられて行く様になつた。
日本文学の発生 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
此作り物は、大嘗祭に牽いた「ヘウヤマ」と同じ物で、屋外の「モノ」を座敷にうつしただけである。
まれびとの歴史 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
私も以前、同様に「ヘウヤマ」、山・鉾の前型の研究から、其に似たことを申して居たことでした。
能舞台の解説 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
神の依るところのしるしの山だと考へられて居つた時代から段々変化して、ヒヲヤマのうちに尚、外の内容を含む様になつて居たらしい事は、早い時代から考へられます。
この時に種々厳粛な儀式が行はれましたが、その一つにかういふ事が昔はありました。「ヘウヤマ」といふものなのです。昔は日本訓みに訓んだでせうが、平安朝時代にはかう音読してゐます。
日本美 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
すべて祭り屋台の類はほこ・やま・だし・だんじりなど、みな平安朝まであつた「ヘウヤマ」と、元一つの考へから出て居る。平安朝初期に、既に「標の山」の上に蓬莱山を作り、仙人の形を据ゑた。
国文学の発生(第二稿) (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
神迎へのヘウヤマなのである。
まれびとの歴史 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
ヤマ山車ダシの様な姿である。
万葉集研究 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)