奥平おくだいら)” の例文
仮初かりそめにも人にきずを付ける了簡りょうけんはないから、ただ一生懸命にけて、堂島五丁目の奥平おくだいらの倉屋敷に飛込とびこんでホット呼吸いきをした事がある。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
木挽町汐留こびきちょうしおどめ(いまの新橋しんばしのふきん)にある奥平おくだいらやしきにいきますと、鉄砲洲てっぽうず築地つきじ)にあるなかやしきの長屋ながやをかしてくれるということでした。
井伊兵部いいひょうぶ、石川数正かずまさ本多ほんだ平八郎、彦八郎などの一族、鳥居とりい、大久保、松平まつだいら奥平おくだいらなどの譜代ふだい、酒井、榊原さかきばらなどの精鋭、水野、近藤、長坂ながさか坂部さかべ、などの旗本たち——。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その道は一方御殿山ごてんやまへ続き、一方は奥平おくだいらの古いやしきについて迂回うかいして高輪の通りへ続いている。その広い邸内を自由に通り抜けて行くことも出来る。捨吉は後の方の道を取った。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
豊前中津の城主奥平おくだいら大膳太夫昌服まさもとの家来川田良兵衛、いみな某の二女。天保十年己亥きがいの歳四月二十五日芝汐留しおどめなる奥平家の本邸内に生れ主家の女中になっていた。文久辛酉の年には二十三歳である。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
福澤諭吉の父は豊前ぶぜん中津奥平おくだいら藩の士族福澤百助ひゃくすけ、母は同藩士族、橋本浜右衛門はしもとはまえもんの長女、名を於順おじゅんと申し
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
城将の奥平おくだいら貞昌は、その夕方、望楼に立って、余りに入念な敵の配置に、身の毛をよだてた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もし、このはなしがわかって、奥平おくだいらというやつはひどいやつだというようなことにでもなれば、わざわいはかえって諭吉ゆきちにふりかかって、どんなめにあうかしれません。それがこわいので
奥平おくだいら屋敷のツヒ近所に増山ますやまと云う大名屋敷があって、その屋敷へ不逞ふていの徒が何人とかこもって居るとうので、長州の兵が取囲んで、サア戦争だ、ドン/″\やって居る。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
中津なかつ奥平おくだいら藩士はんしの数、かみ大臣たいしんよりしも帯刀たいとうの者ととなうるものに至るまで、およそ、千五百名。その身分役名を精細にわかてば百余級の多きに至れども、これを大別たいべつして二等に分つべし。
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)