勧進かんじん)” の例文
旧字:勸進
長摩納ようやく成人して梵施王の諸大臣や富人を勧進かんじんし施財を得て父母の貧苦を救う。梵施王聞き及んで長生王を死刑に処した。
「さんぞうろういずれもの旦那衆にさように勧進かんじんを申し上げて御用をつとめまいらせ候、今法界坊とは、やつがれのことに御座あり候」
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
堂塔の新築改造には、勧進かんじん奉化ほうげ奉加ほうがとて、浄財の寄進を俗界に求むれども、実は強請に異ならず。その堂内に通夜するやからも風俗壊乱のなかだちたり。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
山内の修復を勧進かんじんしましょう、塔を寄進いたそう、を塗ろう、瑤珞ようらくを飾ろう、法筵ほうえんにはあたうかぎり人をよび、後では世話人たちで田楽を舞おう。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
という見識、されば一室に護摩壇を築き、秘仏を勧進かんじんして、三日三夜の間、揉みに揉んで熱祷を捧げましたが、それとても、何んのしるしもありません。
道祖神さえのかみ勧進かんじんと称して木竹わらを集めあるき、少し出し惜しみをするとすぐに悪口をする。そういう悪太郎が仲間では、幅をきかしていた土地もまれでない。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ひじりだのと呼ばれたり、よしやその称呼はなくても、かつては法師姿で描きあらわされておったり、今においてなお地方によってはこれらの仲間を禅門だの、勧進かんじん(勧進聖の義)だの
俗法師考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
と云う句から菅原継長つぐなが勧進かんじんせる所である。
応仁の乱 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
式の翌る日からは、貧民への餅撒もちまきやら、施粥せがゆやら、寺院への勧進かんじんやら、それも済むと、新郎新婦は、やがて、新しい愛の巣へ、二人だけで移って住むことになった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
勧進かんじんは神や仏のお姿などを背に負うて、諸国の信者に礼拝れいはいをすすめあるいた人のことだから、かつてはこういうものにのせて、旅をしていたことがあるのかもしれない。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
特に人肌地蔵を勧進かんじんした厳重な土塀のあたりや、そのちょうど内側になっている金蔵、切り抜かれた穴の様子や、主人孫右衛門の寝所から廊下続きになっている蔵の入口の工合ぐあいなどを
「これは、勧進かんじんの状」文覚は、群衆へいって、それから、おもむろに書付をひろげだした。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「さきに自分が勧進かんじんした、やわたの八幡宮の造営も、予算三百貫というのが千貫をこえた。このたびはわけても伊勢の御事おんこと、三倍はおろか数倍も要ろう。御費用を切りつめるな」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
神護寺じんごじ廃毀はいきを修復して、仏法の興隆を喚起し、あわせて父母の冥福めいふくをも祈る、という勧進かんじんをして、都の市民へ呼びかけていたが、一日あるひ、法住寺の法殿に貴紳が多く集まると聞いて
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そんな主旨の廻文を、清十郎に書かせ、これをたずさえて、中国、九州、四国などに散在している吉岡拳法門下の出身者を、歴訪して来たのである。もちろん振武閣建築の寄附金を勧進かんじんするために。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
主上より綸旨りんじをもって信長にさとし給わらんものと、だいぶ烈しい運動を試みたらしゅうございますが、それも勅許になる見込みなく、近頃ではもっぱらただ民力にありとなして、諸国を勧進かんじん
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)