出城でじろ)” の例文
前田方の出城でじろの諸将は、これをながめて、一挙に、富山攻めを計るべし、と金沢表へ献策したが、利家は用いなかった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それから加賀の石川郡の出城でじろ村大字なりの字は、字維、字新、字以、字来、字文、字明、字開、字化というのであり、いずれも無造作の中に著しくあの時代の生活趣味を現わしているのが面白い。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
この小田原の出城でじろの一つで、荻野山中おぎのやまなかの陣屋を焼討ちした悪者が、この城下へまぎれ込んだものだから、それをつかまえるためにあの騒ぎだと聞いて、おやおや、それは少し当てがはずれたかな
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
七月に入っても、一ノ宮城はちず、わずかに、諸所の出城でじろを攻めつぶしたに過ぎなかった。そこで上方勢は、一ノ宮ひとつへ全主力をそそいだ。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
馬麟ばりんは、大小いくさ船の建造係。宋万は金沙灘きんさたんの一さいに住む。王矮虎おうわいこ鄭天寿ていてんじゅもまた、ずっとしも鴨觜灘おうしたんへくだって、おなじく出城でじろの一さいく。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
出城でじろの衆では、深溝ふかみぞの城主、松平家忠が、三里の道のりを、汗馬かんばを飛ばして駈けつけて来たのが、到着第一であった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いたずらに最後の決戦をいそいで、千や二千の小勢こぜいをもって、東海道とうかいどうめのぼったとて、とちゅうの出城でじろ関所せきしょでむなしく討死うちじにするのほかはない。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鳴海城は、清洲をめぐる衛星の一つであった。織田家の出城でじろなのである。彼の父、山淵左馬介義遠やまぶちさまのすけよしとおは、信長の被官ひかんの一人で、その城を預かっている者だった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
兄大学信盛のぶもりは、愛知郡あいちごおり山崎で、出城でじろとはいえ、一ヵ城の城持ちであり、左京も織田家では、重要な地位を占め、主君のおおぼえもよかった。年齢は二十三歳とかいう。
日本名婦伝:太閤夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
亀山かめやま出城でじろせき国府こうの手足まで、むごたらしくもぎとられた滝川一益たきがわかずます、そこに、死にもの狂いの籠城ろうじょうをする気で、狭間はざまからはブスブスと硝煙しょうえんをあげ、矢倉やぐらには血さけびの武者をあげて
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一挙に浅井の本城小谷を奪取だっしゅしてしまうべきだと、木下殿が切に献言けんげんなされたそうだが、お用いもなく、その翌日、敵の出城でじろ、横山城だけを落して、木下殿をそこへ詰め置かれたまま、早速にも
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
つなぎ城とは、繋ギの意味で、出城でじろとも、取出し城ともいったりする。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
笠寺城かさでらじょうは、尾張の押えとして在る、今川の出城でじろの一つだ。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)