児玉こだま)” の例文
旧字:兒玉
振向くと、司令官の谷干城たにたてき少将が、参謀の児玉こだま源太郎少佐、樺山資紀かばやますけのり中佐など幕僚ばくりょう五、六名といっしょに、廊下に立っていた。
日本名婦伝:谷干城夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すなわちこれらの地においては郷名として特に名家の姓を採用したことあたかも大連の児玉こだま町・乃木のぎ町と同じである。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
信州上田うえだの人で児玉こだま政雄まさおという医者がひところ馬籠に来て住んでいたことがある。その人に『詩経しきょう』の句読くとうを受けたのは、半蔵が十一歳の時にあたる。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
同じ汽車にて本庄ほんじょうまで行き、それより児玉こだま町を経て秩父に入る一路は児玉郡よりするものにて、東京より行かんにははなはだしくなるが如くなれども
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
かつて故児玉こだま大将が生存中、僕は一せき大将をそのやしきに訪ねたことがある。折から外出より帰った大将は
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
医者ヲ呼ボウカドウシヨウカトシバラク三人デ相談シタ。僕ハ児玉こだま氏ナラ差支エナイト思ッタケレドモ、ソレデモ妻ノコウイウ醜態ヲ見セルノハ好マシクナカッタ。
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
院長の児玉こだま博士は、専門の医学の外に、文学にも堪能たんのうで、殿村などとも知り合いであったから、さい前殿村からの電話を聞いて、彼等の来るのを待ち受けていた程である。
(新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
児玉こだま氏は越前国敦賀つるがの城主酒井さかい右京亮うきょうのすけ忠毗ただやすの家来某のむすめであった。二百石八人扶持の家である。与四郎の文内に弟があり、妹があって、彼を宗兵衛そうべえといい、これ岡野おかのといった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
梶原に続き、三浦、鎌倉、秩父ちちぶ、足利の一族、党では猪俣いのまた児玉こだま野井与のいよ、横山、西にし党、綴喜つづき党などや、その他の私党の兵が続々と攻めこめば、平家もここに兵力のすべてを投入して戦った。
しからば古郷ふるさととても五三おにのすむ所なりとて、ここより又みやこに引きかへすに、近江の国に入りて、にはかにここちあしく、五四あつき病をうれふ。五五武佐むさといふ所に、児玉こだま嘉兵衛とて富貴の人あり。
そこへ、垣根の向うを児玉こだま的外が息子の初男を連れて通る。
五月晴れ (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
武佐むさというところに、児玉こだま嘉兵衛という金持があった。