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佐
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たす
ふりがな文庫
“
佐
(
たす
)” の例文
「
幼
(
いとけな
)
くこそあれ、わが子曹叡こそは、仁英の質、よく大魏の
統
(
とう
)
を継ぐものと思う。汝ら、心を
協
(
あわ
)
せて、これを
佐
(
たす
)
け、朕が心に
背
(
そむ
)
くなかれ」
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「天皇を
佐
(
たす
)
けて天の下を定めたまふ。
毎
(
つね
)
に
侍
(
つかへ
)
執
(
まつり
)
たまふ際に於いて、
輒
(
すなは
)
ち
言
(
こと
)
政事に及びて、
毗
(
たす
)
け補ふ所多し」と記してある。
大和古寺風物誌
(新字新仮名)
/
亀井勝一郎
(著)
去る八月以来公武合体が実現している今日となっては、
須
(
すべから
)
く皇命を奉じ、幕府を
佐
(
たす
)
け、上下協力して国論を定め、もって攘夷の効を奏すべきである
新撰組
(新字新仮名)
/
服部之総
(著)
浅見
絅斎
(
けいさい
)
が四尺の大刀を
横
(
よこた
)
え、その刀身に「赤心報国」の四字を
鐫
(
ほ
)
り、「予は足関東を踏まず、時ありて機を
得
(
え
)
ば、義兵を挙げて王室を
佐
(
たす
)
くべし」と
慷慨
(
こうがい
)
し
吉田松陰
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
我は奮つて彼の事業を
佐
(
たす
)
くべし、彼の事業もし我理想境と背馳せば、吾は奮つて彼の事業を打破すべし、此点に於て我等は、一種の攘夷思想と趣を同うする事能はず。
一種の攘夷思想
(新字旧仮名)
/
北村透谷
(著)
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次に予は、帝釋が毘沙門をクベラと呼で佛の供養を
佐
(
たす
)
けしめたてふ經律留相の文を引て、クベラは實名、毘沙門は通稱の如くみえると云た。佛經に此類の事少なからず。
再び毘沙門に就て
(旧字旧仮名)
/
南方熊楠
(著)
今度わたしは総督の執事なぞと一緒になって見て、はじめていろいろなことがわかりました。あの仲間には三つの内規があったと言います。幕府を
佐
(
たす
)
けるもの。浪士を妨害するもの。
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
天の
佐
(
たす
)
けというものか僕らの乗っている短艇の姿を彼らは発見しなかったらしい。
沙漠の古都
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
如何
(
いか
)
なこと幕府を
佐
(
たす
)
けなければならぬとか云うような事を考えたことがない。
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
金子は新徴組の連中と交わりがよかったばかりでなく、そのころ聞えたる各藩士及び志士とはたいてい往来していました。その主張するところは幕府を
佐
(
たす
)
けて尊王の志を成さんとするのであります。
大菩薩峠:10 市中騒動の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
太公望もその志に感じ、ついに文王を
佐
(
たす
)
ける気になって、その功はやがて、周代八百年の基を開いたのである。——古人の賢人を敬うことは、みなこのようであった。
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その子たる者が、何故、丞相府の一官吏となって、賤しき曹操の
頤使
(
いし
)
に甘んじておらるるか、なぜ、廟堂に立って、天子を
佐
(
たす
)
け、四海の
政事
(
まつりごと
)
に身命をささげようとはなさらぬか
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「——そうか。……するとあすの朝はもはや住吉の浦から立つわけだな。老練な五郎左の
佐
(
たす
)
けおることだ。諸事、安心いたしておると五郎左にも伝えおけ、信孝にもいえ。やがて中国で対面するであろう。信長も近日には下る」
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“佐”の意味
《名詞》
(サ)軍隊の指揮官。
(サ)佐官。
(出典:Wiktionary)
佐
常用漢字
小4
部首:⼈
7画
“佐”を含む語句
佐伯
佐々
佐久間象山
佐野
佐介
佐保
土佐
佐渡
佐々成政
補佐
佐世保
兵衛佐
佐藤春夫
佐用
佐吉
須佐之男命
佐藤
右衛門佐
佐理
少佐
...