人寰じんかん)” の例文
材料の麻布を巧みに利用して衣襞をかなり写実風に表現し、同じ礼拝の当体としても鑑真和尚のよりはずっとわれわれの人寰じんかんに近づいている。
本邦肖像彫刻技法の推移 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
僕は荒涼たる阿蘇の草原から駆け下りて突然、この人寰じんかんに投じた時ほど、これらの光景にたれたことはない。
忘れえぬ人々 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
最後に私は、古書肆こしょしの店頭から殆ど姿を消してしまった本書を再び人寰じんかんうちへ呼びかえしてくれられた知友角川源義かどかわげんよしさんの御厚意に、心からの御礼を申しあげたい。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
天風に乗じて人寰じんかんに下るような気取りで歩いて行きましたが、今度はさっぱり手ごたえがありません。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それより上は全くの神斧鬼鑿しんぷきさく蘇川そせん峡となるのだ。彩雲閣からわずかに五、六丁足らずで、早くも人寰じんかんを離れ、俗塵ぞくじんの濁りを留めないところ、峻峭しゅんしょう相連あいつらなってすくなからず目をそばだたしめる。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
互に顔も知らねば名も知らぬ人々である、しかして、二人が呼吸のある屍骸しにがらを抱き合わないばかりによこたえているところは、高く人寰じんかんを絶し、近く天球をする雲の表の、一片の固形塊ソリッド・マッス
奥常念岳の絶巓に立つ記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
日常人事の交渉にくたびれ果てた人は、暇があったら、むしろ一刻でも人寰じんかんを離れて、アルプスの尾根でも縦走するか、それとも山の湯に浸って少時の閑寂を味わいたくなるのが自然であろう。
銀座アルプス (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
市井しせいの鶯というほどではなくとも、人寰じんかんを離れざる世界である。普請場小景というところであるが、のみ手斧ちょうなの音が盛にしはじめては、如何に来馴れた鶯でも、近づいて啼くほどにはなるまい。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
人寰じんかんとの交渉を断続した筈の高い処に、お余り小さいながらも縮図されたる下界が存在し、そこに風雨氷雪の危険と威嚇とに打ち克って、私達の心を威圧し慴伏しょうふくせんとする山岳の絶対権威に抗して
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
山へ登りましても人寰じんかんの展望をほしいままに致そうとの慾望もござりませず、山草、薬草の珍しきをでて手折たおろうとの道草もござりません、ただ一心に神仏を念じ
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
植物家らにして、これらの人寰じんかんを絶したる山間谿陰に、連日を送りたるものあるは、これを聞かざるにあらずといへども、しかもかくの如きはこれ、漁人海にうかび、樵夫しょうふ山に入ると同じく
山を讃する文 (新字旧仮名) / 小島烏水(著)