一瞬いっとき)” の例文
といっても、男によって体に与えられた“うつつの喪失そうしつ”は逆に彼女を一瞬いっときのまにべつな女として生れかわらせていたともいえよう。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まったく彼の影は、一瞬いっときの間に細く見えた。——つくづく奉公人の器でない事を、今更、自分で知ってほぞを噛むのだった。
濞かみ浪人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
肝臓からにじみ出る不快な苦汁くじゅうに、内臓の諸機能もめるような動悸をきざみ、一瞬いっとき、それが実にいやな顔いろになって、彼のおもてを通りすぎた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
誰も皆、ひとつ憂いにとらわれて、一瞬いっときほどは、眉にも睫毛まつげにも、かぶとの緒にもくらつぼにも、雪の降り積るにまかせたまま、駒首寄せて声もなかった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たとえば、下も見ずに絶壁をよじ上って、いただきの岩角にとりすがると同時に、満身の精気も一瞬いっときにどこかへすうと脱け去ってしまったような。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一瞬いっとき、彼の真実なことばに打たれた者達は、酒の酔いもどこへやら、声をのんで、藤吉郎のおもてを見まもり合っていた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
弾木魂たまこだまに、一瞬いっとき、耳がガーンとすると、もう兵の胆気たんきはすわっていた。——しかし、気がついてみると、その隊だけ、本隊から置き捨てられていた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大杯をいられ、飲まぬか、なぜ飲まぬ、って飲めなどと——一瞬いっときではあったが、けわしいお模様があったそうな。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
石井山の御本陣を始め、敵も味方も、一瞬いっとき小波さざなみも立たぬほどひそまり返って、泥水の大湖の中に、ひら—閃—と舞いうごく波の扇を見まもっていたのである。
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ときならぬ春雷は、一瞬いっとき、地をふるわせ、人々のきもをおどろかせたが、落花微塵らっかみじんな威も見ぬまに、花の道中を、次の日はもううららかに、水戸へさして帰っていた。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「——このもとに生れたありがたさもわからねば、この国土に報じて、一瞬いっときのいのちを、無窮に生かそうとする——長命の法も、さとらぬあわれなもの、不愍ふびんもの……」
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
世の中とはかくも不測ふそくなものなのか。一瞬いっときは驚く心すらしびれて、涙も出なければ、声も出ない。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
このときは、ただこれだけで帰って来たので、二人には、尊氏が何でそのような冗談をいったのか、またひどく機嫌のいい一瞬いっときを顔に見せたのか、主君の心はめなかった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
屋根の一端が暴風雨あらしにさらわれてしまったものと見えて、白い雨水が、ぶちまけるようにはりから落ちているのである。もちろん、あかりは努力しても一瞬いっときも持っていなかった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
余りに動流の激しい、そして血なまぐさい世の中なので、その半面の「静」を求め、血ぐさい一瞬いっときを離れて、じゃくの中に、息をつこうという人々の声なき求めといえるであろう。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いや、敵は二万、味方は五百余人、かかったところで、ほんの一瞬いっとき、ここの川面かわもを、赤く染めてしまうだけだ。討死は、覚悟だが、その死を、できるだけ有効にして死なねばならぬ」
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あわただしい時勢の変相が、一瞬いっとき、若い学生たちの心を通りすぎた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ぞっと、身慄みぶるいを覚えた時、わしは一瞬いっときに世の中がいやになった。所詮、この世というものは、学識ある者も、教養のない者も、食える者も、食えない者も、一様に皆つづまるところ餓鬼がきの寄合いか。
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただ朧な中の本能の狂いを、一瞬いっとき、梅が散り騒いだだけであった。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一瞬いっときみな、厳粛に、かれの喰うまんじゅうの味を思いやっていた。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)