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一切経
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いっさいきょう
ふりがな文庫
“
一切経
(
いっさいきょう
)” の例文
五ヵ月ぶりで
一切経
(
いっさいきょう
)
の中から世間へ出た時の
範宴
(
はんえん
)
のよろこびは、大きな知識と開悟とに満たされて、
肋骨
(
あばらぼね
)
のふくらむほどであった。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
また支那滞留中『
一切経
(
いっさいきょう
)
』さえも読破したといっている。かかる種類の人は時勢の解釈者としては最もふさわしい人であります。
琉球史の趨勢
(新字新仮名)
/
伊波普猷
(著)
「
清衡朝臣
(
きよひらあそん
)
の
奉供
(
ぶぐ
)
、
一切経
(
いっさいきょう
)
のうちであります——時価で申しますとな、
唯
(
ただ
)
この一巻でも一万円以上であります。」
七宝の柱
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
一切経
(
いっさいきょう
)
を
披
(
ひら
)
き
閲
(
けみ
)
すること数遍に及び、自宗他宗の書物眼に当てないというものはなかった。
法然行伝
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
是
(
これ
)
皆
一切経
(
いっさいきょう
)
にもなき一体の風流仏、珠運が刻みたると同じ者の千差万別の
化身
(
けしん
)
にして少しも相違なければ、拝みし者
誰
(
たれ
)
も彼も一代の
守本尊
(
まもりほんぞん
)
となし、信仰
篤
(
あつ
)
き時は子孫
繁昌
(
はんじょう
)
家内
和睦
(
わぼく
)
風流仏
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
▼ もっと見る
そこで、例を上げて見ると、鎌倉の鶴ヶ岡八幡に
一切経
(
いっさいきょう
)
が古くから蔵されていたが、このお経も今度の法令によって八幡の境内には置くことが出来なくなって、他へ持ち出しました。
幕末維新懐古談:31 神仏混淆廃止改革されたはなし
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
その社会知識の芽ぶきみたいな面白さがみられるのは、最終の室のさいごのケースにある
一切経
(
いっさいきょう
)
写司
(
しゃし
)
ノ
解
(
げ
)
である。
正倉院展を観る
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
三の
散佚
(
さんいつ
)
はあろうが、言うまでもなく、堂の
内壁
(
ないへき
)
にめぐらした
八
(
やつ
)
の棚に満ちて、二代
基衡
(
もとひら
)
のこの
一切経
(
いっさいきょう
)
、一代
清衡
(
きよひら
)
の
金銀泥一行
(
きんぎんでいいちぎょう
)
まぜ
書
(
がき
)
の一切経、
並
(
ならび
)
に
判官贔屓
(
ほうがんびいき
)
の第一人者、三代
秀衡
(
ひでひら
)
老雄の奉納した
七宝の柱
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
養家
(
ようか
)
の
貧
(
ひん
)
したため十五歳で京都の
妙心寺
(
みょうしんじ
)
に小僧にやられ、名を
十竹
(
じっちく
)
ともらい、
笈
(
おいずる
)
を負うて、若いあいだ、
南都
(
なんと
)
、
高野
(
こうや
)
、諸山を
遍参
(
へんさん
)
して、すこしばかり仏法をかじったり、
一切経
(
いっさいきょう
)
を読んでみたり
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
彼の念願は、興福寺の
経蔵
(
きょうぞう
)
のうちにあった。許しをうけて、その
大蔵
(
だいぞう
)
の暗闇にはいった範宴は、日も見ず、月も仰がず、
一穂
(
いっすい
)
の
燈
(
とも
)
し
灯
(
び
)
をそばにおいて、大部な
一切経
(
いっさいきょう
)
に眼をさらし始めたのである。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
一
常用漢字
小1
部首:⼀
1画
切
常用漢字
小2
部首:⼑
4画
経
常用漢字
小5
部首:⽷
11画
“一切経”で始まる語句
一切経会
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