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てつがく
幾ら
丁斑魚でも
滿足を
得られんなら、
哲學を
爲ずには
居られんでせう。
苟も
智慧ある、
教育ある、
自尊ある、
自由を
愛する、
即ち
神の
像たる
人間が。
以來、
百家の
書を
讀んで、
哲學を
修する、と
稱へて、
別業に
居續けして、
窓を
閉ぢて、
垣を
開いた。
そうして
自分を
哲人と
感じている……いや
貴方これはです、
哲学でもなければ、
思想でもなし、
見解の
敢て
広いのでも
無い、
怠惰です。
自滅です。
つまり、魚心堂先生の釣りは、先生の
哲学であり、
禅であり、
思索であり、生活である——こういう
喧ましい
因れから来て、魚心堂先生の名もある訳……。