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おかゝ
玄竹は
町醫であるけれども、
夙に
京都の
方へ
手を
廻して、
嵯峨御所御抱への
資格を
取り、
醫道修業の
爲めに
其の
地に
遣はすといふ
書付に、
御所の
印の
据わつたのを
持つてゐるから
後に仙台侯の
御抱えになりました
黒坂一齋と云う先生の処に、内弟子に参って
居る
惣領の
新五郎と云う者を
家へ呼寄せて、病人の
撫擦りをさせたり、
或は薬其の
外の手当もさせまする。
と、
芥川さんが
詠じて
以来、——
東京府の
心ある
女連は、
東北へ
旅行する
亭主の
為に
鰹のでんぶと、
焼海苔と、
梅干と、
氷砂糖を
調へることを、
陰膳とゝもに
忘れない
事に
成つた。