遠江とほたふみ)” の例文
同廿四年、予の遠江とほたふみにあるや友人明石桜井君、一書を予に贈れり、題して蓬莱曲ほうらいきよくと曰ふ。れ楚囚の詩と作者を同ふする者。
北村透谷君 (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
よつて母ととも遠江とほたふみ国井伊谷に至り、しうとの菅沼治郎右衛門忠久の家に寓す。後徳川家康の今川義元のもとに在るや、其の側に侍す。ついで義元の子氏真に仕ふ。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
翌三年十月、武田信玄は大挙して上洛を志し遠江とほたふみに侵入し、徳川家康を脅かしたが、翌天正元年四月、やまひを得て「明日旗を瀬多せたに立てよ」のうは言も悲しく陣歿した。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
それからすぐに和歌山わかやまられてつて、ひさしくくにかへることもしませんでした。加納家かのうけみこんでから、はじめて遠江とほたふみはゝのところへ歸省きせいしたことがあります。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
そしてまた海岸かいがんばかりでなく、湖水こすいそばなどにも淡水産たんすいさん貝殼かひがら出來できてゐる貝塚かひづかがあるのであります。遠江とほたふみ蜆塚しゞみづかなどはその一例いちれいで、しゞみ貝殼かひがらなどがあるので、こんながつけられたのです。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
真淵は遠江とほたふみ浜松の新宮の禰宜ねぎ岡部定信の二男で、享保十八年三十七歳で京都に出て、荷田春満の門に入つた。足かけ四年で師の春満は死んだが、平田篤胤あつたね玉襷たまだすきの中で
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
くつっぽくいへば、和歌山わかやま遠江とほたふみまでのあひだに、たびごろもがわゝけるといふほどのこともあるまいし、また早春そうしゆんたのが晩春ばんしゆんになつたといふほどのこともありますまい。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)