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義昭
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よしあき
ふりがな文庫
“
義昭
(
よしあき
)” の例文
「いや、そうだろう。せっかく信玄が、三方ヶ原までまいりながら、引っ返したと聞いてはな。……
義昭
(
よしあき
)
の顔が眼に見えるようだ」
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
信長に身を寄せた漂泊の将軍家
義昭
(
よしあき
)
は、その後、
岐阜
(
ぎふ
)
の城下
西
(
にし
)
ノ
店
(
たな
)
の立正寺を宿所と定められて、一行はそこに
起
(
お
)
き
臥
(
ふ
)
ししていた。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
佐々木一族は、三好や松永党と通じていて、前に、新将軍
義昭
(
よしあき
)
が、そこへ身を寄せた時、義昭を計って殺そうとしたことさえある。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
だから、たとえ足利
義昭
(
よしあき
)
を
匿
(
かく
)
まおうと、本願寺と通じようと、遠く上杉謙信と或る
黙契
(
もっけい
)
をむすぼうと、すべては、中国を守るためだった。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
足利幕府の崩壊を前にして、三好細川の乱の後、将軍
義昭
(
よしあき
)
をたすけて、それを織田信長に委嘱した人は誰も知るが如く幽斎細川藤孝だった。
随筆 宮本武蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
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将軍
義昭
(
よしあき
)
の宿舎となっている寺院の裏山で、光秀は藤孝と落ち合って、彼の手から、信長へ宛てた将軍家の親書を受け取った。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
甲斐
(
かい
)
の武田までを、外交的機略に用い、また、その
名分
(
めいぶん
)
を大きくするためには、
前室町
(
さきのむろまち
)
将軍の
義昭
(
よしあき
)
を自己の国土に引き取って養い、中央には
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
室町幕府を捨てて足利
義昭
(
よしあき
)
を追ってから、わずか十年、
眼
(
ま
)
のあたりに、ここまでの推移と民生活の安定を見ては、もうこの頃の信長をさして
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
義昭
(
よしあき
)
でも
義景
(
よしかげ
)
でも、また今川義元のごときでさえも、位置や名門に
晏如
(
あんじょ
)
としていれば、たちまち時代の怒濤が
覆
(
くつがえ
)
して行った。
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
まず織田家の
勃興
(
ぼっこう
)
ぶりを数字のうえで見ると、ここ足かけ三年間に、足利
義昭
(
よしあき
)
を追い、浅井、朝倉を滅ぼして、急激にその領地を拡大している。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その徳川家をのぞいたら、この信長を、父とも思うといった将軍家
義昭
(
よしあき
)
をはじめ、遠くは西国の毛利家にいたるまで、みなわが敵であらぬはない。
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ところへ、久しく、消息のたえていた前将軍の足利
義昭
(
よしあき
)
が、こまごまと密書のうちに、近況を知らして来た。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
彼に亡ぼされた今川、斎藤、朝倉、佐々木、六角、浅井の諸家の残党や、亡命将軍の
義昭
(
よしあき
)
をあやつる各地の反抗も、それと同じ性質のものだといえないことはない。
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
彼が一度は
扶持
(
ふち
)
をうけて
合力
(
ごうりき
)
もした松永久秀は亡び、続いて、足利
義昭
(
よしあき
)
も滅亡を遂げている。
剣の四君子:02 柳生石舟斎
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
当寺内に潜伏している足利
義昭
(
よしあき
)
の手先、上福院というもの。また以前
六角承禎
(
ろっかくじょうてい
)
といい、今は佐々木次郎と変名している人物。もう一名は、
大和淡路守
(
やまとあわじのかみ
)
という織田どのを呪う
曲者
(
くせもの
)
。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そして三好党に属していたが、信長が兵をひいて、京都に入り、足利
義昭
(
よしあき
)
を中央から
放逐
(
ほうちく
)
するとき、彼は手勢わずか四百をひッさげて、その市街戦に臨んで、
俄然
(
がぜん
)
織田軍に加勢した。
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その新免無二斎
武仁
(
たけひと
)
が、室町将軍の
義昭
(
よしあき
)
に呼ばれて、京都で将軍家兵法所の師範役吉岡憲法と試合をし、これに打勝ったという記録が、春山和尚と伊織の手で成った碑文にもあるし
随筆 宮本武蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
たとえば足利将軍の
義昭
(
よしあき
)
が、好餌をもって誘っても、信長がしきりと招いても、豊臣氏が
赫々
(
かっかく
)
と覇威を四海にあまねくしても、その大坂、京都のつい鼻の先にいながら、この人物は
宮本武蔵:03 水の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
三好一族の叛乱に
趁
(
お
)
われて、将軍
義昭
(
よしあき
)
公は、諸国を亡命して、逃げあるいていた。
茶漬三略
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
再び使いを派して、
備後
(
びんご
)
の
鞆
(
とも
)
の
津
(
つ
)
にある足利
義昭
(
よしあき
)
に密書を送り、毛利をして西国より動かしめんと努め、一方、浜松の徳川家康へも使いを立て、極力一方の援けを求めつつあったらしい。
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
光秀がまだ名もない一介の
漂泊人
(
ひょうはくじん
)
として、越前の朝倉家に寄寓していた頃、藤孝も、三好・松永などという乱臣に都を
趁
(
お
)
われて、国々をさまよっていた将軍
義昭
(
よしあき
)
に
扈従
(
こじゅう
)
して、同じ土地に漂泊していた。
日本名婦伝:細川ガラシヤ夫人
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“義昭”の解説
義昭(ぎしょう、応永11年(1404年) - 嘉吉元年旧3月13日(1441年4月4日))は、室町時代の僧。室町幕府第3代将軍・足利義満の子息で第6代将軍足利義教の異母弟。大覚寺門跡となり、官職は大僧正に昇りたびたび東寺長者を務めた。
(出典:Wikipedia)
義
常用漢字
小5
部首:⽺
13画
昭
常用漢字
小3
部首:⽇
9画
“義”で始まる語句
義
義兄
義理
義姉
義弟
義務
義父
義太夫
義母
義経