“よしあき”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
義昭47.8%
嘉明21.7%
義顕13.0%
吉顕4.3%
嘉彰4.3%
義明4.3%
義章4.3%
(注)作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
荒木村重が初めて信長に随身したのは、二条のたちを攻撃して旧将軍義昭よしあき駆逐くちくしたあの時からであった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何ぞ知らん——。わずかそれから三年後には、京都の足利義昭よしあき将軍は、もう信長を頼らなければならなくなっていた。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
内膳正の子が左兵衛、左兵衛の子が右衛門佐うえもんのすけ、右衛門佐の子が与左衛門で、与左衛門は朝鮮征伐のとき、加藤嘉明よしあきに属して功があった。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
その上、水軍の諸将、即ち長曾我部元親、加藤嘉明よしあき、九鬼嘉隆等も各々その精鋭をすぐって、遠州今切港や清水港に投錨して居るのだから、小田原城は丁度三面包囲を受ける形勢にある。
小田原陣 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
わけて義貞には、幼名を辰千代といった義顕よしあきや、その下の徳寿丸(後の義興)などの男子があった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
新田左中将義貞、子息義顕よしあき、脇屋右衛門ノすけ義助、一子式部大輔だゆう義治よしはる
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
木犀舎は山岡氏の家で、今の阿部伯の家令岡田吉顕よしあきさんの姻家ださうである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
比佐子夫人の事は岡田吉顕よしあきさんに請うて阿部家の記録を検してもらつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
翌四日にも、幕軍は敗勢を返さんとして戦ったが、此日仁和寺宮嘉彰よしあき親王が、金甲馬にまたがり、前駆に錦旗を飜して、陣頭に進まれたので、絶えて久しき錦の御旗を仰いだわけで、官賊の別が判然としたので、薩長の軍は意気軒昂となり、幕軍は意気沮喪して、いよいよ敗勢の著しいものがあった。
鳥羽伏見の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
加賀の江沼を、溝口秀勝に。能美郡のみごおりを、旧どおり村上義明よしあきに。——総じて地着きの豪族は、そのまま、旧領において、これをみな丹羽長秀に属せしめた。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
義詮は、細川顕氏や仁木義章よしあきにまもられて、やっと、京都のそとへ逃げ走り、やがて近江の四十九院しじゅうくいん(犬上郡)までたどりついたとき、はじめて、ほっと、おちつきを取りもどした。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)