トップ
>
よしあき
ふりがな文庫
“よしあき”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句
割合
義昭
45.8%
嘉明
20.8%
義顕
12.5%
吉顕
4.2%
喜前
4.2%
嘉彰
4.2%
義明
4.2%
義章
4.2%
▼ 他 5 件を表示
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
義昭
(逆引き)
信長に身を寄せた漂泊の将軍家
義昭
(
よしあき
)
は、その後、
岐阜
(
ぎふ
)
の城下
西
(
にし
)
ノ
店
(
たな
)
の立正寺を宿所と定められて、一行はそこに
起
(
お
)
き
臥
(
ふ
)
ししていた。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
よしあき(義昭)の例文をもっと
(11作品)
見る
嘉明
(逆引き)
〔評〕十年の
難
(
なん
)
、賊の
精鋭
(
せいえい
)
熊本城下に
聚
(
あつま
)
る。而て
援軍
(
えんぐん
)
未だ達せず。谷中將死を以て之を守り、少しも動かず。
賊勢
(
ぞくせい
)
遂に屈し、其兵を東する能はず。
昔者
(
むかし
)
加藤
嘉明
(
よしあき
)
言へるあり。
南洲手抄言志録:03 南洲手抄言志録
(旧字旧仮名)
/
秋月種樹
、
佐藤一斎
(著)
よしあき(嘉明)の例文をもっと
(5作品)
見る
義顕
(逆引き)
新田左中将義貞、子息
義顕
(
よしあき
)
、脇屋右衛門ノ
佐
(
すけ
)
義助、一子式部
大輔
(
だゆう
)
義治
(
よしはる
)
。
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
よしあき(義顕)の例文をもっと
(3作品)
見る
▼ すべて表示
吉顕
(逆引き)
上
(
かみ
)
に云つた如く、霊台院殿信誉自然現成大姉は津軽氏比佐子で、墓は浅草西福寺にある。比佐子夫人の事は岡田
吉顕
(
よしあき
)
さんに請うて阿部家の記録を検してもらつた。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
木犀舎は山岡氏の家で、今の阿部伯の家令岡田
吉顕
(
よしあき
)
さんの姻家ださうである。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
よしあき(吉顕)の例文をもっと
(1作品)
見る
喜前
(逆引き)
大村領は長崎が幕府の直轄地となった関係から直接に幕府の圧迫を受け、大村
喜前
(
よしあき
)
は逸早く棄教した。
鎖国:日本の悲劇
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
よしあき(喜前)の例文をもっと
(1作品)
見る
嘉彰
(逆引き)
此日仁和寺宮
嘉彰
(
よしあき
)
親王が、金甲馬に
跨
(
またが
)
り、前駆に錦旗を飜して、陣頭に進まれたので、絶えて久しき錦の御旗を仰いだわけで、官賊の別が判然としたので、薩長の軍は意気軒昂となり
鳥羽伏見の戦
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
よしあき(嘉彰)の例文をもっと
(1作品)
見る
義明
(逆引き)
能美郡
(
のみごおり
)
を、旧どおり村上
義明
(
よしあき
)
に。——総じて地着きの豪族は、そのまま、旧領において、これをみな丹羽長秀に属せしめた。
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
よしあき(義明)の例文をもっと
(1作品)
見る
義章
(逆引き)
義詮は、細川顕氏や仁木
義章
(
よしあき
)
にまもられて、やっと、京都のそとへ逃げ走り、やがて近江の
四十九院
(
しじゅうくいん
)
(犬上郡)までたどりついたとき、はじめて、ほっと、おちつきを取りもどした。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
よしあき(義章)の例文をもっと
(1作品)
見る
検索の候補
よしあきら
ぎしょう