竹田ちくでん)” の例文
しかし床の間には竹田ちくでんの描いた墨絵の観音と、その反対の壁には神代杉の額縁に填められたスピノザの肖像がかかっていました。
書斎 (新字新仮名) / 辻潤(著)
竹田ちくでんき人なり。ロオランなどの評価を学べば、善き画描ゑかき以上の人なり。世にあらば知りたき画描き、大雅たいがを除けばこの人だと思ふ。
雑筆 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
例えば、竹田ちくでんのような書はそうだろうと思います。それから非常に鈍感な驢馬のような感じの字もあるのであります。
よい書とうまい書 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
歌麿うたまろがかったものにも色気を出す、大雅堂たいがどう竹田ちくでんばたけにもくわを入れたがる、運が好ければ韓幹かんかんの馬でも百円位で買おう気でおり、支那の笑話しょうわにある通り
骨董 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
僕は日本の古代文化について殆んど知識を持っていない。ブルーノ・タウトが絶讃する桂離宮も見たことがなく、玉泉も大雅堂も竹田ちくでんも鉄斎も知らないのである。
日本文化私観 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
釧雲泉、名はしう、字は仲孚ちゆうふ、肥前国島原の人である。竹田ちくでんが称して吾国の黄大癡くわうたいちだと云つた。宝暦九年生だから、此年四十六歳であつた。五年の後に越後国出雲崎で歿した。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
三渓の蒐集品は文人画ばかりでなく、古い仏画や絵巻物や宋画や琳派りんぱの作品など、尤物ゆうぶつぞろいであったが、文人画にも大雅たいが蕪村ぶそん竹田ちくでん玉堂ぎょくどう木米もくべいなどのすぐれたものがたくさんあった。
漱石の人物 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
津田君といえども伝習の羈絆きはんを脱却するのは困難である。あるいは支那人や大雅堂蕪村たいがどうぶそんやあるいは竹田ちくでんのような幻像が絶えず眼前を横行してそれらから強い誘惑を受けているように見える。
で、時雄は父親とむしろ快活に種々なる物語にふけった。父親は田舎の紳士によく見るような書画道楽、雪舟、応挙、容斎の絵画、山陽、竹田ちくでん海屋かいおく茶山さざんの書を愛し、その名幅を無数に蔵していた。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
更に又竹田ちくでん百活矣ひやくくわつい如何いかん。これをしも芸術と云ふくんば、安来節やすぎぶしも芸術たらざらんや。予は勿論彼等の道楽を排斥せんとするものにあらず。
続野人生計事 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
また竹田ちくでんにいたしましても、やはり、あの時代の人の作として非常に賞玩されたのは、一に優美性、風流性が豊饒であったがためでありまして、竹田の画も
狭斜けふしやいうあるを疑はれしとて、「家有縞衣待吾返いへにかういありわがかへるをまつ孤衾如水已三年こきんみづのごとくすでにさんねん」など云へる詩を作りしは、いささか眉に唾すべきものなれど、竹田ちくでんが同じく長崎より
雑筆 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
無理かも知れぬが、試みに画家に例えるならば、栖鳳せいほう大観たいかんのうまさではない。靫彦ゆきひこ古径こけいでもない。芳崖ほうがい雅邦がほうでもない。華山かざん竹田ちくでん木米もくべいでもない。呉春ごしゅんあるいは応挙おうきょか。ノー。
河豚のこと (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
無理かも知れぬが、試みに画家に例えるならば、栖鳳せいほう大観たいかんの美味さではない。靫彦ゆきひこ古径こけいでもない。芳崖ほうがい雅邦がほうでもない。崋山かざん竹田ちくでん木米もくべいでもない。呉春ごしゅんあるいは応挙おうきょか。ノー。
河豚は毒魚か (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
竹田ちくでん
雑筆 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
それでもその中、文化、文政の頃になりまして、山陽さんようとか、木米もくべいとか、竹田ちくでんとか、ああいう連中が少し中国趣味に動きましたが、それとても、結局、木米のごときは、余程日本趣味になりました。
書道と茶道 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)