とき)” の例文
甘いすすり泣きに一ときしいんとなったかと思うと、あまりにも早いうちに、ろうのどこかで衆僧の呼ぶ声がここの男女ふたりを驚かせた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、その矢先、壇上の一角に闇が破られて、一本の燐寸マッチの火が、階段を客席の方に降りてきた。それから、ほんの一ときであったが、血が凍り息窒いきづまるようなものが流れはじめた。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
廓内かくないは、一ときのまに、大騒動となり、かえりみれば、月の夜空は、火の粉をちりばめ、どこかでは早や、軍隊がうごいている。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とにかく、春渓尼が、高時の床几の前にいたのもほんの一ときだった。しょせん、こまかい話などはしていられない。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
無事、無為に、赤穂の片田舎に、暮してしまえば、こういうめた生涯しょうがいの一ときは、思えばなかった筈である。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いつか生田ノ森は、ひぐらしのに暮れていた。浜といわず、山野といわず、いたる所の地を馳け鳴らしていた終日の駒音もやんで夕一ときの静かな白い星があった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
肺腑を突くとは、こんな言を擬して、一とき、はっと息を呑ませる鋭さをいうのだろう。又太郎は、いや、かたわらの経家さえも、粛と、顔いろをいで、固くなった。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一方は背を向けて俯向うつむき、一方は横を向いて空を仰いだまま……これが幾年も幾年も、会わんとしては会い難かった二人の、たまたま、許された一ときの寄り添いだった。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ごくと、込みあげるものも一ときは呑まれて、わっと声と涙がせきを切ったのは、後からだった。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
正成は、豆に代って、豆の怨みを御簾ぎょれんあんに訴えていたのだった。——たしかにそれはここの人々をして、暗鬱な反省の一ときには立たせていた。——が、その一ときがたつとすぐ
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ほんの一ときだますようにさした月光は、空の怒ろうとする前に見せる微笑であった。
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
敵たると味方たるとをとわず、武人のかんばしい心操しんそうに接するほど、予は、楽しいことはない。その一ときは、天地も人間も、すべてこの世が美しいものに満ちているような心地がするのだ。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武蔵が、じっとその眼を見ているに、彼女のことばが、決して一ときの興奮や嘘でないことはわかる。むしろ楽しんで自分の死にいて、共に死のうとしている気持すらかがやいている。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こうしているわずかな一ときこそ、なにも思わず、そなたに心も身も与えているが——一歩別れて、そなたの側を離れれば、そなたのことなど、おくれ毛一筋ほどにも心に懸けていない人間。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武松も一とき真正直ましょうじきにうけて、つい共にまぶたを熱くしてしまったが
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この至上な一ときを、われからみだしたくないのであろう。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
二人のあいだに、一とき、厳粛な沈黙がかれた。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、この地ひびきも一ときだった。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)