浪花なにわ)” の例文
とかく昔の浪花なにわあたり、このような粋人とおそろしい茶屋が多かったと、その昔にはやはり浪花の粋人のひとりであった古老の述懐。
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
蕪村は摂津せっつ浪花なにわに近き毛馬塘けまづつみの片ほとりに幼時を送りしことその「春風馬堤曲しゅんぷうばていきょく」に見ゆ。彼は某に与ふる書中にこの曲の事を記して
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
浪花なにわの国府の府生に任官したのをさいわい、事のおきぬうちと、淀から舟に乗ってだしぬけに浪花へ発って行ってしまった。
無月物語 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
浪花なにわより船にのりて明石にわたる乗合あまたにて」という前書がついている。そういう船中の様子を句にしたのである。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
「私立探偵安藤一郎 事務所 日本橋区蠣殻かきがら町三丁目四番地 電話浪花なにわ五〇一〇番」と記してある。
途上 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
浪花なにわ町の裏にいた勝梅さんも、焼け出された一家だから、三味線よりほかなんにも持ってなかった。兄さんは叔母おばのおやそさんそっくりの人で、肺病かもしれなかった。
「はい、浪花なにわ表で八つ化け仙次せんじといわれている人が、なにを隠そう、わちきのだんなさんざます」
豊臣太閤に至って前代未聞ぜんだいみもんの盛事。それもはや浪花なにわの夢と消えて、世は徳川に至りて流れも長く治まる。剛強必ず死して仁義じんぎ王たりという本文をのあたりに見るようじゃ
なぜなら、そこは、わたしが覚えて古い浪花なにわぶしの定席だったから。
雷門以北 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
「甚兵衛さんならじょうるりじゃないや。きっと浪花なにわぶしだぜ。」
雪渡り (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
○やぶいり浪花なにわいで長柄川ながらがわ
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
蕪村は摂津浪花なにわに近き毛馬塘けまづつみの片ほとりに幼時を送りしことその春風馬堤曲しゅんぷうばていきょくに見ゆ。彼は某に与うる書中にこの曲のことを記して
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
「中山殿はじめ、松本奎堂、藤本鉄石、吉村寅太郎の領袖りょうしゅうは、あれから宿駕籠しゅくかご鷲家わしや村まで行った、それから伊勢路へ走ると先触れを出しておいて、不意に浪花なにわへ行く策略であったがな」
大菩薩峠:05 龍神の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
その時勢に、新江戸の土くさい田舎いなかもののずぶとさと反撥力はんぱつりょくをもった、新開の土地などでは見られない現象を、古い伝統をもつ大都会、浪花なにわの大阪の土地に見たのは当然の事であったろう。
竹本綾之助 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
粋人 (浪花なにわ) 世間胸算用せけんむねさんよう、五十一歳
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
○春あり成長して浪花なにわにあり
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
大阪の雑誌『宝船』第一号に、蘆陰舎百堂ろいんしゃひゃくどうなる者が三世夜半亭やはんていを継ぎたりと説きその証として「平安へいあん夜半やはん翁三世浪花なにわ蘆陰舎ろいんしゃ
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
六町間の一角だけがことに堅気な竪筋なので、住吉すみよし町、和泉いずみ町、浪花なにわ町となると、よし町の方に属し、人形町系統に包含され、やわらいだ調子になって、向う側の角から変ってくるのが目にたっていた。
侍従中山忠光は浪花なにわへ落ち、松本奎堂けいどう、藤本鉄石、吉村寅太郎らの勇士は、或いは戦死し、或いは自殺して、義烈の名をのみとどめた——十津川の乱の一挙は近世勤王史の花というべく、詳しく書けば
大菩薩峠:05 龍神の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「いや左様なことはありませぬ、聞けば江戸へ下る途中、伊賀の上野にて、これらの浪士の一行に加わり、それより吉野へ出で、いったん浪花なにわへ入って、それからまた出直してこの旗上げに加わったように見えまする」
大菩薩峠:05 龍神の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)