枚方ひらかた)” の例文
それらはともかく、彼が枚方ひらかたから対岸へ渡ったのは、そこの西国街道で、兄正成の軍を待つためだったが、まだ正成の兵馬は見えない。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もう上様うえさま枚方ひらかたあたりまでお上りになった時分であろう、などゝ云うのが聞えて参りましたので、さては御運の強き大将軍にてましますことよ
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
それから二刻ふたときばかり後、源内先生は淀川堤に沿った京街道を枚方ひらかたの方へセッセと歩いて行く。
枚方ひらかたへくると、敗兵が、どての上に、下のあしの間に、家の中に、隊伍たいごも、整頓もなく騒いでいた。大小の舟が、幾十そうとなく、つながれていたが、すぐ一杯になって、次々に下って行った。
近藤勇と科学 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
それから三十石を一艘借切って、駕籠や荷物と一所に乗込んで淀川を下った、枚方ひらかたへ来ると『食らわんか舟』がやって来て、わざと客を罵りながら食い物を売る。私は餅などを買ってもらった。
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
そしてそれに代るに、淀川すじの枚方ひらかた、伏見、淀などの不用地に枯れ捨てになっている葭や葦を自由に刈りとることと、附近の運上権(河川税)の支配を願った。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
金千代は、枚方ひらかたで、新撰組の舟に、うまく乗れたし、城中から逃げる時にも、将軍が、天満橋から、茅舟かやぶねで、天保山てんぽざんへ落ちたとすぐ聞いて、馬を飛ばしたが、間に合って、この舟に乗る事が出来た。
近藤勇と科学 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
露八は、淀川に沿って、枚方ひらかたの方角へと、歩きだした。血か、油か、淀は鉛色なまりいろにぎらぎらして、時々、せになった幕兵の死骸が空俵あきだわらみたいにながれて来る。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「淀と申せば、淀、枚方ひらかた、伏見などのよしあしは、よくれておるか。運上もれておるか」
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
当夜は、枚方ひらかたに宿営。——翌早暁から三万の兵馬はまた淀の河流にそって蜿蜒えんえんと東下した。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
伏見、鳥羽、枚方ひらかた方面から敗退して来る会津あいづ兵や、桑名くわなや、幕府の旗下はたもとの侍は、青い泥を塗ったような顔と、血によごれた体を持てあまして、よろよろと、市中にあらわれた。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
枚方ひらかたの船持とかいうこの船頭の親なども馳けつけて来て、共に息子の無礼をびた。
剣の四君子:05 小野忠明 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まだ事変の最中さなかに、博多はかた宗湛そうたんとともに、京都を立ち、その宗湛と、よどの船つき場でわかれて、さかいへ急いでいた茶屋四郎次郎は、りつける田舎いなか道の炎天を枚方ひらかたから二里ほども来ると
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かれはそこで旅川周馬の出立を見届け、安治川屋敷の者たちは、未明、淀川を小舟でさかのぼって大阪の外に出、枚方ひらかたの茶店で支度、津田の並木で周馬の来るのを待ち伏せようという約束。
鳴門秘帖:06 鳴門の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その頃、かくいう俺は、枚方ひらかたの船持の息子で、自分も船頭していたのさ
剣の四君子:05 小野忠明 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして青田の果て遠く枚方ひらかたの堤から京都方面を凝視ぎょうししていた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
正季まさすえは、枚方ひらかたから、淀川を北へ、渡っていた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)