旗鼓きこ)” の例文
待って、こよいは時親どのの山荘に明かし、あすあたり、旗鼓きこ堂々、一路笠置へのお味方にせ向う所存——と、いやもう、たいへんな
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
の千載一遇の好機会に当り、同胞にしてし悠久の光栄を計らず、いたづらに一時の旗鼓きこの勝利と浮薄なる外人の称讃に幻惑するが如き挙に出でしめば
渋民村より (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
七寸丸太の長さ三十尺近くもある奴が総立ちで一個連隊ほども旗鼓きこ堂々と材木置場へ押し寄せてくる光景、丸太や桁材や背板が互いにぶつかり合って
可愛い女 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
揚州の守将王礼おうれいと弟そうと、監察御史かんさつぎょし王彬おうひんを縛して門を開いてくだる。高郵こうゆう通泰つうたい儀真ぎしんの諸城、また皆降り、北軍の艦船江上に往来し、旗鼓きこ天をおおうに至る。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
けだし旗鼓きこ相見あいまみゆるの日においては彼の富は彼をしてよく我にまさるの海陸軍を備えしむるを得るものなり。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
この時に候補者として名乗りを挙げたものは、あたかも勇士が戦場に臨み、この勝敗に依って一国の安危が決するという意気込みで、敵も味方も旗鼓きこ堂々とその陣を張った。
選挙人に与う (新字新仮名) / 大隈重信(著)
そこで五百も論陣を張って、旗鼓きこ相当あいあたった。公父こうふ文伯ぶんはくの母季敬姜きけいきょうを引く。顔之推がんしすいの母を引く。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
三日目から四日目にかけて、越後勢は、この野へきたときと何らの変化もなかったように、旗鼓きこ堂々、北へさして徐々に引揚げて行った。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
少くも一言くらい何とか言ってくれる。そうすれば、水の流が石に触れて激するように、弁論に張合が出て来る。相手も雄弁を弄することになれば、旗鼓きこ相当って、彼の心が飽き足るであろう。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
この日、馬煙うまけむりは天をおおい、両軍の旗鼓きこは地を埋めた。なにやら燦々さんさんと群星の飛ぶような光を、濛々もうもうのうちに見るのだった。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、その二方面のまん中を、足利直義ただよしの本軍が、大手隊として、敵を圧するばかりな旗鼓きこで押しすすんでいた。「太平記」のことばを借りれば
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「何の、海道四万の大軍と、おやかたの武威をもって進めば、旗鼓きこの前に血ぬらずして、信長はくだって参りましょう」
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
留守となる清洲には、その本丸に内藤信成のぶしげを。二の丸に、三宅康貞やすさだ、大沢基宿、中安長安の諸将をとどめ、二十八日、旗鼓きこさわやかに、小牧山へ進出した。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
毛利へたいしてすら、異存あらば、七月以前に、申し越されよ、旗鼓きこの間に、解決しようと、云い切っているのである。——数正は、たんを越えて、かろい疲れすら覚えて来た。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それに、旗鼓きこ堂々といいたいが、何となく士気も振わない。生気せいきがない。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三軍にわかれ、三道から進められ、旗鼓きこ雲にかんし、歩武山嶮さんけんすった。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、それらは旗鼓きこ整然せいぜんと、時もひとつに、大江の一点へ流れていた。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
堂々、出陣を宣して立つ場合ならば、貝を用い、旗鼓きこをさかんにして、城下をくり出すところだが、わざと三々五々さんさんごご、騎馬を散らし、歩兵を前後し、旗を巻き火器をしのばせつつ発したのである。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)