-
トップ
>
-
強
>
-
おし
幼年より
病身と雖も
御惣領なれば
強て
家督に立給しが綱教卿も同年九月九日御年廿六
歳にて
逝去なり然るに
次男頼職卿も
早世なるに
依紀伊家は
殆ど
世繼絶たるが如し三
男信房卿同家へ
養子と
成せられて
間は
無れ共外に御
血筋なき故まづ左京太夫
頼純の四男
宗通の次男を
見定て
出帆然るべしといふ吉兵衞
始め皆々今日のごとき
晴天によも
雨下しなどの
難は有べからずと思へば杢右衞門又々
水差に向ひ成程
足下の云るゝ處も一理なきにも有ねど
餘り
好天氣なればよも
難風など有まじく思ふなり
強て
出帆すべく存ずると云に
水差も然ばとて承知し兵庫の
沖を