平戸ひらど)” の例文
この覚え書によると、「さまよえる猶太人」は、平戸ひらどから九州の本土へ渡る船の中で、フランシス・ザヴィエルと邂逅かいこうした。
さまよえる猶太人 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
まだ信長の世に時めいていたころは、長崎ながさき平戸ひらどさかいなどから京都へあつまってきた、伴天連バテレン修道士イルマンたちは、みなこの南蛮寺なんばんじに住んでいた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
平戸ひらどの海浜で猴がアワビを採るとて手を締められ岩に挟まり動く能わず、作事奉行さくじぶぎょう川上某を招く故行って離しやると、両手を地に付け平伏して去ったとあるが
肥前平戸ひらどの西方には江袋湾と言う入江があって、その地形は法のごときフクラであるのをもって考えると、九州のフクロは別にあるいはフクラの後訛かも知れぬ。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
從て濱に出ると平戸ひらど、五島、薩摩、天草、長崎等の船が無鹽、鹽魚、鯨、南瓜ボウブラ、西瓜、たまには鵞鳥、七面鳥の類まで積んで來て、絶えず取引してゐたものだつた。
思ひ出:抒情小曲集 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
博多はかた平戸ひらど、長崎、鹿児島のような港は、海外にもその名が知られていました。それらの港を指して四つの方向から文物ぶんぶつが入りました。一つは朝鮮、一つは支那、一つは南洋、一つは西洋であります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
これは徳川幕府の初年の話であるが、肥前ひぜん平戸ひらどをイギリス人の引揚げる時にも、彼れ等は日本人の女房に、大いに依々恋々いいれんれんとしたといふことである。
日本の女 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
聞けば、こんどの中国戦を聞きつけて、遠く九州の平戸ひらど博多はかたあたりから、多くの武器商人が入りこんでいたらしい。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これよりふるった珍法は『甲子夜話』十一に出で平戸ひらどで兎が麦畑を害するを避けんとて小さき札に狐のわざと兎が申すと書く、狐これを見て怒りて兎を責むるを恐れ兎害を止めると農夫伝え行う
オルガンチノは伊太利イタリア生れの伴天連ばてれんだった。平戸ひらど長崎ながさきあたりはいうまでもなく、さかい安土あづち、京都、畿内きないのいたる処にも無数の宣教師が日本に渡っていた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
第一あなたさへ平戸ひらどあたりの田舎ゐなか生れではありませんか? 硝子ガラス絵の窓だの噴水だの薔薇ばらの花だの、壁にかけるかもだの、——そんな物は見た事もありますまい。
長崎小品 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
平戸ひらどそのほかの海港と、呂宋ルソン、安南、暹羅シャム満剌加マラッカ、南支那一帯の諸港との往来は、年ごとに頻繁ひんぱんを加えて来るし、それが国民一般の宗教に、軍事に、直接生活に
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
両肥りょうひ及び平戸ひらど天草あまくさの諸島を遍歴して、古文書の蒐集に従事した結果、偶然手に入れた文禄ぶんろく年間の MSS. 中から、ついに「さまよえる猶太人」に関する伝説を発見する事が出来た。
さまよえる猶太人 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)