屈指くっし)” の例文
二陣に和田五郎正隆まさたか同苗どうみょう助康、八木ノ入道法達ほうたつ、神宮寺正師まさもろなどの——いくさの駈引きにも騎馬戦にも屈指くっしな者をすえていた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
アナトール・フランスは、また、世界で屈指くっし名文家めいぶんかです。文章は平明へいめい微妙びみょう調子ちょうしととのっていて、その上自然な重々しさをもっています。
母の話 (新字新仮名) / アナトール・フランス(著)
藩中でも屈指くっし水練すいれんの者がかはる/″\飛び込んで探りまはつたが、水の底からは女の髪の毛一筋すらも発見されなかつた。
梟娘の話 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
その問答試験に応ずる者は三大学中でも屈指くっしの学僧が選ばれて出るので、普通の僧侶はもちろん出られない。この後チョエン・ジョェの時分にまた十六人選抜する。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
それで爺は、今では、若い時分、自分が屈指くっし稼人かせぎてだった自慢はもう決してしなくなったのである。
山茶花 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
やはり郁治や清三と同じく三里の道を朝早く熊谷にかよった連中れんちゅうの一人だが、そのほんとうの号は機山きざんといって、町でも屈指くっし青縞商あおじましょうの息子で、平生へいぜい角帯かくおびなどをしめて
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
一二回会ったくらいで顔もうろ覚えになっている檜垣ひがきをたよってきたんだが、そして着くなりそのまま檜垣の家に厄介やっかいになっていたが、檜垣の家は伊豆七島屈指くっしの海産物問屋で
石ころ路 (新字新仮名) / 田畑修一郎(著)
然るに北多摩郡でももっとも東京に近い千歳村の僅か五百五十町歩の畑地はたちの中、地味ちみも便利も屈指くっしの六十余町歩、即ち畑地の一割強を不毛ふもうの寺院墓地にして了うのは、惜しいものだ。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
大望たいもうを遂げて帰国すれば、蜂須賀家では屈指くっしな格式にとりあげられるのは無論のこと、やがてまた、幕府が仆れ蜂須賀家が将軍の職をつぐ日には、自分も
鳴門秘帖:03 木曾の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あなたの言う通り、土地では屈指くっしの旧家であるだけに、旅館とはいいながら大きい屋敷にでも住んでいるような感じで、まことに落ちついた居心地のいい家でした。
怪獣 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
一昨年ここの住職になるについても、やむを得ぬ先住せんじゅうからの縁故があったからで、羽生町はにゅうまち屈指くっし名刹めいさつとはいいながら、こうした田舎寺には惜しいということもうわさにも聞いていた。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
一族には大膳だいぜん大夫たいふ広秀、左近将監高広さこんしょうげんたかひろなどもあり、準北条氏の家格からもまず屈指くっしな重臣といってよい。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ところが、それは宮方では屈指くっしな柳生播磨守永珍ながよしの手勢だった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)