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勧工場
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くわんこうば
ふりがな文庫
“
勧工場
(
くわんこうば
)” の例文
旧字:
勸工場
両国の広小路に沿うて石を敷いた小路には小間物屋袋物屋煎餅屋など種々なる小売店の賑ふ有様、
正
(
まさ
)
しく屋根のない
勧工場
(
くわんこうば
)
の廊下と見られる。
路地
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
芝居や
勧工場
(
くわんこうば
)
があつて、堺では一番繁華な所になつて居るのです。小学校の横を半町も東へ行きますと
寺町
(
てらまち
)
へ出ます。
私の生ひ立ち
(新字旧仮名)
/
与謝野晶子
(著)
今、
勧工場
(
くわんこうば
)
のある奥の方にあつた。そこの主人も面白い男だつた。其処には硯友社の同人は
皆
(
み
)
な出かけて行つた。
紅葉山人訪問記
(新字旧仮名)
/
田山花袋
、
田山録弥
(著)
伯父はそれを陶器の
勧工場
(
くわんこうば
)
にする積で、既に清水焼の四五の主なる陶器店との間に約束が成り立つて居た。
世の中へ
(新字旧仮名)
/
加能作次郎
(著)
愚園
(
ぐゑん
)
の方は小さな浅草の花屋敷で、動物の外に一寸法師や
象皮
(
ざうひ
)
病で片手が五十
封度
(
ポンド
)
の重量のある男の見世物などがあり、
勧工場
(
くわんこうば
)
や「随意
小酌
(
せうしやく
)
」と
貼
(
はり
)
出した
酒亭
(
しゆてい
)
もある。
巴里より
(新字旧仮名)
/
与謝野寛
、
与謝野晶子
(著)
▼ もっと見る
上潮に末広の長い尾を曳く川蒸汽は、仲々異なものであつた。銀座の通り、新橋のステイシヨン、
勧工場
(
くわんこうば
)
にも
幾度
(
いくたび
)
か入つた。二重橋は天子様の御門と聞いて
叩頭
(
おじぎ
)
をした。
天鵞絨
(新字旧仮名)
/
石川啄木
(著)
何
(
ど
)
れも
其辺
(
そこら
)
の
勧工場
(
くわんこうば
)
で買へない
高料
(
たか
)
い品を月に一遍位は
必
(
きつ
)
と持つて来た子。
犬物語
(新字旧仮名)
/
内田魯庵
(著)
今は何処に家を持つて、お
内儀
(
かみ
)
さんも
御健勝
(
おまめ
)
か、
小児
(
ちツさい
)
のも出来てか、今も私は折ふし小川町の
勧工場
(
くわんこうば
)
見物
(
み
)
に
行
(
ゆき
)
まする
度々
(
たびたび
)
、
旧
(
もと
)
のお店がそつくりそのまま同じ
烟草店
(
たばこみせ
)
の
能登
(
のと
)
やといふに成つてゐまするを
十三夜
(新字旧仮名)
/
樋口一葉
(著)
勧工場
(
くわんこうば
)
のはいりくち
東京景物詩及其他
(新字旧仮名)
/
北原白秋
(著)
宗教画に
彩
(
いろ
)
どられた高い門を
潜
(
くゞ
)
つて
賑
(
にぎやか
)
な街へ出た。朴氏は
勧工場
(
くわんこうば
)
へ私を
伴
(
つ
)
れて行つたが、私は汽車賃が
何
(
いづ
)
れ又追加される様な気がして
莫斯科
(
モスコオ
)
の記念の品も買ふ気にはなれなかつた。
巴里より
(新字旧仮名)
/
与謝野寛
、
与謝野晶子
(著)
其処の角には
勧工場
(
くわんこうば
)
と云つて
何品
(
なん
)
でも売る所があるし、右へ行くと三丁目の電車、左へ行くと赤門の前——赤門といへば大学の
事
(
こつ
)
てすよ、それ、日本一の学校、名前位は聞いた事があるんでせうさ。
天鵞絨
(新字旧仮名)
/
石川啄木
(著)
手荷物は高い高い上の金網の上に皆載せられてあつた。
浦潮斯徳
(
ウラジホストツク
)
の
勧工場
(
くわんこうば
)
で買つて来た桃色の箱に
入
(
はひ
)
つた百本
入
(
いり
)
の巻
煙草
(
たばこ
)
と、
西伯利亜
(
シベリア
)
の木で造られた
煙草入
(
たばこいれ
)
とが机の上に置いてある。
巴里より
(新字旧仮名)
/
与謝野寛
、
与謝野晶子
(著)
勧
常用漢字
中学
部首:⼒
13画
工
常用漢字
小2
部首:⼯
3画
場
常用漢字
小2
部首:⼟
12画
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勧工場式