内侍所ないしどころ)” の例文
内侍所ないしどころに雨や月影が洩って、冬ともなれば、御衣ぎょいしろにすら事を欠くと、勿体なげに沙汰する下々の憂いもまことであろう。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
昼は禁廷左近のたちぱなの下に茶を売る者あり、夜は三条の橋より内侍所ないしどころの燈火を望み得たとは、有名な話である。
応仁の乱 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
神事が多くて内侍所ないしどころが繁忙をきわめる時節で、内侍以下の女官なども長官の尚侍の意見を自邸へ聞きに来たりすることで、派手はでに人の出入りの多くなった所に
源氏物語:31 真木柱 (新字新仮名) / 紫式部(著)
内侍所ないしどころに召されて、ろくおもきものにてそうろうにと申したりければ、とても人数ひとかずなれば、ただ舞はせよとおおせ下されければ、静が舞ひたりけるに、しんむしやうの曲と言ふ白拍子しらびょうしを、——
伯爵の釵 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
刀自にはまれ内侍所ないしどころの刀自のように結婚をせぬ者もあって、語の本義はただ独立した女性を意味し、すなわち男の刀禰とねに対する語であったかと思われるが、普通の用い方は家刀自いえとじ
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
新月や内侍所ないしどころの棟の草 嵐雪
俳句上の京と江戸 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
「……ここぞ、内侍所ないしどころらしい」と、さし覗けば、神器もすでに持ち出されてあり、ほの暗い細殿に、ただ残燈ざんとうの影がかそけく、またたいているだけだった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
内侍所ないしどころに召されて、ろくおもきものにて候にと申したりければ、とても人数ひとかずなれば、ただ舞わせよと仰せ下されければ、静が舞いたりけるに、しんむしょうの曲という白拍子を、——
伯爵の釵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
後水尾院年中行事四月十六日の条に「きょうより黒戸くろどにて夏花げばなを摘ませらるる云々」とあって、伊勢と内侍所ないしどころへは三ようずつ、他の大社は二ようずつ、諸仏七葉、御先祖七葉などと記されているが
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
しかも古風に髪をくしで後ろへ押えた額のかっこうなどを見ると、内教坊ないきょうぼう(宮中の神前奉仕の女房が音楽の練習をしている所)や内侍所ないしどころではこんなかっこうをした者がいると思えて源氏はおかしかった。
源氏物語:06 末摘花 (新字新仮名) / 紫式部(著)
内侍所ないしどころ(三種の神器)の奉還に内応したといううわさが当時あったというのは、おそらく事実に近いであろう。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ことらは、ただちに内侍所ないしどころ(三種ノ神器をおく所)へすすみ、つつしんで神璽しんじ御鏡みかがみなどを捧持ほうじして、早よう車のうちへうつしたてまつれ。……また公敏きんとし季房すえふさなんどは、供の用意を
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
はやくも、内侍所ないしどころ玉璽ぎょくじを移して、ふたたび、主上を叡山へ渡御とぎょしまいらすことであたまも智恵もいっぱいだった。また、いまとなっては、どう義貞を譴責けんせきしてみたところで始まらない。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
内侍所ないしどころ御櫃みひつ剣璽けんじ捧持ほうじなど、はや御立座に供奉ぐぶして、おん出でましのように拝されますが、もし、大元帥だいげんすいの大君が、ここに、おわしまさずとなったら、あとの義貞以下、われら将士は
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)